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鹿児島県出身の僕が、越谷レイクタウンにコワーキングスペース「HaLaKe(ハレイク)」をつくった理由

越谷唯一のコワーキングスペース。越谷レイクタウンにあり、クラウドファンディングにより誕生したという「HaLaKe(ハレイク)」。2015年のオープンからはやくも3年が経った。

そもそも、なぜ越谷レイクタウンにコワーキングスペースをつくろうと思ったのか、いま、どんなことが行われているのか、そしてこれからどうなっていきたいのか。

今回は、HaLakeを運営するニャンパス株式会社代表取締役社長の登尾徳誠さんにお話しを伺った。

今回ご紹介する「KOSHIGAYA ZINE」

登尾 徳誠(のぼりお とくせい)

 

1980年生まれ、鹿児島出身。小学校からプログラミングを始め、2010年ニャンパス起業のエンジニア社長。Clojure交流会のTokyo.clj主催。プログラミングのレッスンやスマートフォンアプリ開発、ウェブサービス開発を行なう。

聞き手:青野 祐治(あおの ゆうじ)

 

ローカルストーリーメディア「KOSHIGAYAZINE」へんしゅうちょー。1987年越谷生まれ、越谷育ち。越谷西高→青山学院大学卒。 広告会社やフリーランス、スタートアップでWeb編集、スピーチライティング、PRなどを経験。 大の巨人ファン。

将来の夢は「プログラマー」。小学生のころに決めたんです

 

ーー登尾さんは、鹿児島県のご出身と聞きました。どんな少年時代を過ごされていたんですか?

 

登尾徳誠さん(以下、登尾さん)プログラミングが好きな少年でしたね。

私は、鹿児島県の長島という島で生まれ育ったんですが、小学生のときにベーシックマガジンというプログラミング初心者向けの月刊誌に出会ったことが、プログラマーになりたいと思ったきっかけです。

その雑誌にはプログラミングのコードが載っていて、それをそのままパソコンに打ち込むと、ゲームが作れたんです。小学校にパソコンが用意されていたので、よくやっていました。

ーーなるほど。まわりのお友達もそういった方は多かったんですか?

登尾さん いや、まわりの友達は、野球やサッカーなどをする子が多かったので、けっこう変わった存在だったと思います(笑)でも、自分でつくったゲームで友達と遊ぶこともありました。

 △向かって右側が小学生時代の登尾さん。

それがきっかけで、将来的には「RPGゲームがつくれるプログラマー」になりたい、と思うようになったんです。それは小学生のときから決めていました。

ーーそれで、高校でもやはりプログラミングを中心に勉強を。

登尾さん そうですね。中学卒業後は鹿児島市内の私立の高校に進学しました。そこは、情報系の学校だったんですが、少し変わっていたんですね。

ーーと、言いますと?

登尾さん その高校は、学校自体のシステムの設計を生徒に任せるような学校で。

ーーかなり大胆な発想ですね。

登尾さん はい。例えば、学校の成績表の管理システムなどを生徒が改修していたんです。

そういったことを学校でやりつつ、プログラミングが好きすぎて、システムの開発会社でもプログラマーのアルバイトをしていました。いまでいうGmailのようなブラウザでメールを読み書きできるようなWebメールの開発もしていたんです。

アルバイトで1ヶ月間一生懸命働いて、はじめてお給料をいただいた時はすごく嬉しかったです。1万円ぐらいでしたけどね(笑)

ーー好きなことでお金をいただける体験って、すごく素敵なことですね。

登尾さん 今考えてみると、確かにそうかもしれませんね。そういったプログラミングの楽しさが起業の原体験になっていると思います。

高校卒業後、鹿児島県内の有名企業に新卒入社。念願だった「プログラマー」としてのキャリアをスタート

ーー高校卒業後は大学へ進学されたのですか?

登尾 いえ、行きませんでした。「これからはインターネットの時代だ」と思ったときに、大学では古いプログラミング言語は学べても、新しいコトは教えてくれないだろうと思ったんです。

であれば、「さっさと社会に出て学んでしまおう」ということで、アルバイト先からの紹介で鹿児島市内の地域総合商社「南国殖産」という会社にプログラマーとして、新卒入社しました。

そこでは、鹿児島でiモードを活用したサービスの開発に携わっていたんです。それが2000年ぐらいのことでしたね。当時はまだ、携帯を使ったネットのサービスがあまり普及していなかったタイミングで、そのサービスによって、たとえば、「鹿児島市内の映画の上映スケジュールが分かる」みたいな仕組みをつくっていたんです。

ーー鹿児島版の「Yahoo」みたいなサービスですね。

登尾さん  そうですね。ネット上にインフラをつくるというのは、刺激的な体験でした。その会社に2年弱勤めたあとフリーランスになったんです。

ーーまだ、20歳ぐらいのときですよね?すごいですね。最近では、フリーランスは割りと一般的になってきましたが、当時はかなりもの珍しい感じにみられたのでは?

登尾さん  はい。でも、プログラミングのスキルもある程度身につけたので、あまり仕事には困りませんでした。1年ぐらい鹿児島でフリーランスをして、それから東京に行きたいなって思って、上京して都内のアプリ開発会社「スパイシーソフト」という会社に就職したんです。

当時、ガラケーでできるミニゲームが流行っていて、いろんなゲームを紹介するポータルサイトの運営もしている会社でした。そこでも2年ほど、エンジニアをしていました。

2度目のフリーランスを経験後ニャンパスを起業。結婚を機にレイクタウンへ移住、第二の人生が幕を開けた

ーーその後は、都内でまたフリーランスに戻られたと伺いました。

登尾さん  ええ。それで少しのフリーランス生活をしたのち、ニャンパスを立ち上げたんです。それが2009年のことでした。ただ、まだそのときには決まったオフィスは持つことはせず、都内のコワーキングやカフェなど、電源があるところを探して仕事をしていたんです。

ーー最近では、コワーキングスペースや電源カフェは一般的になりつつありますが、当時はまだそういった場所も限られていたのでは?

登尾さん  はい。かなり探すのは苦労しましたけど、当時からあることにはありましたね。

ーーなるほど。ちなみに、社名の由来はなんでしょうか?

登尾さん  猫の行動範囲って半径100mって言われているんですけど、そうした身近な範囲でいいから、僕が得意としているプログラミングやテクノロジーの力を通して「この地域の人と人をつなぐ媒介者になれたら」。そういう思いをニャンパスには込めています。

ーー地域コミュニティとの関わり方って難しいというか、どう関わったらいいのかわからない部分がありますね。そういう意味で、ニャンパスさんのような地域に根付いた企業は貴重だと思いました。そもそも登尾さんはなぜ、レイクタウンを選んだんでしょうか?

登尾さん  ちょうど今の奥さんと結婚して子供も生まれるタイミングで住む場所を探していて、レイクタウンができて間もないタイミングでもあったんです。湖もありますし、イオンもありますし、子育てしやすい環境だなと思ったことが決め手ですね。

転居後は、自治会にも積極的に参加していました。レイクタウン内の別のところに引っ越してしまったので、いまは、役員から外れてしまったのですが、当時自治会内でのランチ会の実施やホームページの制作もしていたんです。

ーー引っ越してきてすぐに、地域に入り込むのって勇気が入りますね。すごいと思います。新興住宅地という土地柄もあったのかもしれませんね。

△登尾さんが指揮をとりデザイナーの方と共同で制作したという自治体ホームページ

クラウドファンディングを活用し、わずか3ヶ月でオープンしたコワーキングスペース「HaLake(ハレイク)」

ーーハレイクは2015年にオープンされたんですよね。つくったきっかけを教えてください。

登尾さん  ハレイクをオープンするまでは、秋葉原や六本木、大宮にあるコーワキングスペース「7F」や取引先企業のオフィスの一画をお借りするなど、とにかくいろんな場所で仕事をしていました。

そんななかで、越谷にもコワーキングがあったらいいなと思ったのがきっかけですね。最初は、私鉄とJRの2つの駅があり、乗降者数も多い新越谷駅付近で物件を探していたんです。でも、いい物件が出てこなかった。であれば自宅から目と鼻の先にある「レイクタウン」につくってしまおうということで、当時まだテナントが空いていた今のビルに決めたんです。

レイクタウンにコワーキングスペースをつくろうと決めてから、3ヶ月でオープンまで持って行きました

ーーすごいスピード感ですね。ハレイクオープンまでの3ヶ月の間に具体的にどんなことをされたんですか?

登尾さん まずクラウドファンディングのサービスを活用して、実際に利用者がいるのかを調査しました。そこで一定数利用者が見込めると踏めたので、そのあとは、「ファンをつくる」ためへ利用目的を変えていったんです。

クラウドファンディングをはじめてから知り合い、いまでも関係が続いている方も多くいるので、この取り組みをしてよかったなと思っています。レーザーカッターや3Dプリンターがここに置いてあるんですけど、これも出資者の方に置いていただいたもので、そのご本人はハレイクの会員にもなっていただいています。

ーーどんどん繋がりが生まれているんですね。

登尾さん  そうですね。毎週イベントも開いていたりしますし。具体的には、エンジニア向けの勉強会や子供向けのプログラミング教室、それとHaLake Partyと言って、越谷近隣のフリーランスの方向けの交流会なども開催しています。

6月27日(水)には、「ハレイクdeママフェス」(越谷レイクタウン散歩さんより)というママさん向けのイベントも開催します。あ、宣伝ぽくなってしまってすみません(笑)

ーー全然大丈夫です(笑)どんなイベントなんですか?

登尾さん ママによるママのためのフェスティバルですね。ワンコインでヘアアレンジや写真を撮ってもらえるブースがあったり、アクセサリーなどの販売もする予定なのでどんなイベントになるか楽しみです。

ーーかなり大規模なイベントですね!ぜひ、その様子もまた伺わせてください。

※編集部注:イベントは終了しました。

越谷を起点として、さまざまな人を繋いでいきたい

ーーHaLakeを今後どのような場にしていきたいですか?

登尾さん  自分でアプリやサービスをつくれるようになって、自由に生きる人を増やしていきたいですね。ここでプログラミング教室を開催している理由の1つは、そこにあったりします。僕も、プログラミングスキルを身につけたことで、フリーランスになったり、起業できたりしたこともあったので。

HaLakeに来た人が、何かスキルを身につけて、「人生の選択肢を増やすきっかけをつくり、多様な人が交わる」。そんな場になれたら、嬉しいですね。

ーー確かに最近ではフリーランスになる方も多いと聞きます。HaLakeが越谷近隣に住む方の人生の選択肢を広げる役割になったら素敵ですね。今日はありがとうございました。

▽今回お話をうかがった場所

学べるコワーキングスペース「HaLaKe(ハレイク)」

住所:埼玉県越谷市レイクタウン8-11-1レイクタウンオークラビル4F

営業時間:月・金・土・日 9:00〜18:00、火・木9:00〜21:00

定休日:水

TEL:050-3159-6010

URL: http://www.halake.com/#home

2 COMMENTS

「越谷のムードメーカーになりたい」KOSHIGAYAZINE編集長が語る、”ローカルメディアをはじめた理由”と “僕が考えるこの街の未来” | KOSHIGAYAZINE

[…] 以前、記事にも書かせてもらったコワーキングスペースのように、人が集まれる場がもっとあったらいいなと思っています。トークイベントなんかもやってみたいですね。堅いことをいうと、越谷がひとつの経済圏になったらいいなと思っています。 […]

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