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「越谷のムードメーカーになりたい」KOSHIGAYAZINE編集長が語る、“ローカルメディアをはじめた理由”と “僕が考えるこの街の未来”

「越谷のムードメーカーになりたい」KOSHIGAYAZINE編集長が語る、“ローカルメディアをはじめた理由”と “僕が考えるこの街の未来”

あなたには、「地元」があるだろうか。地元を愛する心を持っているだろうか。

越谷生まれ、越谷育ち、越谷在住。「KOSHIGAYAZINE」を運営する編集長・青野祐治さんは、端から見ていると「地元愛が強いアクティブな人」だ。メディアの記事からも、本人の人柄からも、地元を盛り上げようという気持ちがひしひしと感じられる。

しかし、青野さんは「本当は越谷から出て行こうと思っていた」と言う。今回は、いつも「越谷人」にフォーカスしている青野さんにスポットライトを当てる。メディア立ち上げの経緯、これからのKOSHIGAYAZINEのビジョンについて、たっぷりと語ってもらった。

   青野 祐治(あおの ゆうじ)

1987年越谷生まれ、越谷育ちの渋谷で働く編集者。複業で越谷市のローカルストーリーメディア「KOSHIGAYAZINE」の創刊編集長。 また、地元農業の魅力やストーリーを”一杯のカレーで味わえる”「K Curry」をプロデュース。地元の未来を考えるトークイベント「KOSHIGAYA MIRAI TALK」を主催。地方創生プラットフォーム「Fledge」への寄稿、ローカルテックサービス「Machitag」やフードシェアサービス「TABETE」と連携し地域をよりよくしていく。地域プレイヤーにフォーカスしたラジオ番組「もっとつながるFM」に出演歴あり。

  聞き手 卯岡若菜(うおか わかな)

さいたま在住フリーライター。取材・インタビュー記事を執筆。子ども時代から県をまたぐ引っ越しを数回経験している。自分のなかに地元感覚があまりないからこそ、地元を愛する人たちの想いに触れることを好む。

「越谷から出て行くつもりだった」移住を本気で考えていた僕が、地元に留まった理由

――青野さんは、ずっと越谷在住なんですよね。

青野祐治さん(以下、青野):生まれも育ちも越谷ですね。両親は越谷出身ではなくて、関西方面の出身。結婚当初も越谷には住んでいなかったんですけど、母の希望で僕が生まれる前に越谷に引っ越したのだそうです。妻は先祖代々越谷に住み続けていて、僕とは中学校の同級生。夫婦揃って根っからの越谷人です。

――KOSHIGAYAZINEの取材の際にも青野さんの地元愛を強く感じるのですが、元から越谷に愛着があったのでしょうか。

青野:いえ、KOSHIGAYAZINEをきっかけに地元愛が強まったといった方が正しいですね。むしろ越谷から出て行きたいと思っていましたし。

――そうだったんですね。どこか住んでみたい場所があったのでしょうか。

青野:というより、越谷に魅力をあんまり感じていなかったんです。越谷というか、埼玉自体にもですが(笑)「ダサいたま」といわれているくらいですし、何もないところだと思っていたんですよね。

エリアに強いこだわりがあったわけではないんですが、北千住とか町屋、田園都市線エリアに引っ越すことも本気で考えていました。あと、移住もいいなと。例えば沖縄。

僕は昔から暖かいところ、特に沖縄が大好きでここ数年、僕の好きな巨人軍のキャンプに行っていたくらいなので。それくらい思い切った転居も考えていました。移住ドラフトと呼ばれる移住希望者のためのイベントにも参加して、移住候補先が具体的に浮上もしたり。

――でも、結局は引っ越さなかったんですね。

青野:きっかけのひとつは、母のガンの発覚でした。ちょうど妻が妊娠中、出産予定日の半年前くらいのことです。余命宣告をされるほどの段階での発覚だったので、ひとまず母の看病のためにも越谷にいようと決めたんですね。

結果、娘が誕生した翌年に母は亡くなりました。その後も移住するイメージを抱きつづけていたんですが、ふと「地元である越谷のことって、意外と知らないな」と思ったんですね。

埼玉にも地域によってはローカルメディアがあったんですが、越谷にはないなと。だったら自分で作ってみようと思ったのがKOSHIGAYAZINEを立ち上げることにしたきっかけです。

――なぜ、またメディアの立ち上げに思い至ったのでしょうか。メディア関係の仕事に携わっていたのですか?

青野:直接メディアの仕事をしていたわけではないですね。新卒で小規模な広告代理店に入り、2年後にいわゆる”大手”広告代理店に転職しました。今はだいぶ環境が改善されていると聞きますが、当時の広告代理店は結構過酷な環境で。

深夜からの打ち合わせとかも当たりまえ。しかも当たりも結構きつい…。いい人もたくさんいたんですけど、僕はそんなにメンタルも体も強くないので、こりゃもたないなと(笑)

――うわあ…それは…(笑)

青野:無理ですよね、無理でした(笑)会社勤め、向いていないなあと思いまして、26の歳でフリーになりましたね。その頃は、オウンドメディアが流行り始めていた時期で、書くことに興味があったこともあり、運よくWebの編集やライター、PRの仕事を始めることになったんです。

その経験がローカルメディアの立ち上げに役立っていますね。今は柔軟に働ける会社に属してフリーとしての仕事・KOSHIGAYAZINEと3足の草鞋を履いているんですけれども、昔ながらの会社員としての働き方は向いていないなと思っています。

自分の名前で働けるエンターテイナーになりたかった

――広告代理店で働こうと思った理由は、何かあったのでしょうか。

青野:発信することとか何かを仕掛けることに興味があったんですよね。コピーライターの糸井重里さんが中学生の頃からとても好きで。憧れがあったんです。

――書くことがお好きだった?

青野:んー、好きだったというほどではないですね。国語が特別得意だったというわけでもなく。大学生のときに、mixiに書いたものを「おもしろい」とか、50ページぐらい書いた卒論を内容ではなく「文章がうまいね」と褒められることはありましたけれども(笑)

小2から野球をやってまして、長らく野球一筋だったんです。だから、勉強はそこまで得意じゃなかった(笑)将来の夢も執筆関係ではなくて、野球選手でした。

野球が好きだということももちろん理由だったんですが、それ以上に「自分や人のいいところを活かす」ことに惹かれていたんです。自分の名前で食べていく働き方ですね。お笑いタレントとかにも憧れていました。人を楽しませることが好きなんですよ。エンターテイナーでありたかったんです。

あと、父が雇われではあるんですけれど、社長をやっていたんですね。創業者ではありませんが、裁量権がある仕事をしていたのを見ていたのも影響を与えたのかもしれません。自分で考えて、自分で何かをやることに興味がありましたね。ゼロからイチを生み出すことが好きなんです。

――メディアの立ち上げは、まさに「ゼロ」から「イチ」ですね。

青野:だから、楽しくてたまらないです。

はじめはほぼひとりで活動していたんですが、今は企画を形にしてくれる仲間も増えましたしね。立ち上げ当初は父子でタッグを組んだこともあるんですよ。父にカメラマンをしてもらって。

――親子での活動、素敵じゃないですか…!地元を出たいと思っていた息子さんが地元に残って活動する道を選ばれたこと、お父さんも喜んでいるのではないですか?

青野:ん〜どうでしょう、そうかもしれませんね。母が先立ってしまったため、結果的に父の近くにいられるのはよかったんじゃないかなと思っています。妻の実家も近いので、娘の子育てにも多くの力を借りられますしね。

――メディアの運営を楽しまれている一方で、ご自身が前面に出ることを望んでいる様子はないのかなと思います。「自分の名前で食べていく」ことに惹かれていたとのことですが、今の青野さんは自分より誰かにスポットを当てることに力を注いでいるのかな、と。

青野:そうですね。別に自分が注目を浴びたいわけじゃなかったんだなと思うようになりました。

あ、今思い出したんですけど、中学時代に応援団長をやったことがあるんですよ。3学年合わせて10人くらいをまとめて、振り付けや内容も僕が中心となって考えて。プロデューサーの仕事ですよね。企画や取りまとめが、とても楽しかった。

――今、KOSHIGAYAZINEでやられていることもある種のプロデュース業ですよね。

青野:ですよね。「企画を考えて実際に形にしていく作業」や「この記事にはこのライターさんが合うな」とかを考えるの、めちゃくちゃ楽しんでいます。野球の監督みたいでとにかく楽しい。うわー、過去と今、つながるものですね。

「届いた」実感がたまらない。確実に芽吹いているKOSHIGAYAZINEの種

――2018年2月にメディアを仮オープンして、5月からインタビューを開始します。そこから今にかけて、変化や感じたことはありますか?

青野:「ローカルメディアって楽しいな」ってことですね。アンテナが変わったことを自分でも感じています。街歩きが楽しくなったといいますか。

家族で出かけていても、頭のなかにKOSHIGAYAZINEのことがあるんですよね。「あ、ここに何かお店ができようとしている!」など、街の変化に気づきやすくなりました。

――実際に、オープンして間もないお店の取材も行ないましたね。

青野:「haberu」さんですね!卯岡さんに教えていただいて一緒に取材した。地元の僕が知らなかったという(笑)

ご本人たちはもちろん、お店のオープンを知るきっかけになったお兄さんの藤田雄一郎さんにも、記事をあらためてTwitterで言及してもらえて。多くの人に読んでもらえるのは、やっぱりうれしいですね。

――KOSHIGAYAZINEをはじめてみて、ほかに何かうれしかったことはありますか?

青野:一度の取材をきっかけに、縁がつながっていく体験をしています。

以前取材に行かせてもらった「つると」さんがそのうちのひとつです。取材以後、「何か一緒に組んでやりましょう!」と話が盛り上がりまして、実際に話も進めています。僕が考えている企画の相談にも乗ってもらえて、非常にありがたいつながりができたなと。

あとは、読者の方とのつながりですね。取材して、記事を書いて、編集して、アップして。僕らの活動って、反響がわかりづらいじゃないですか。届けるためにやっているわけですが、本当に届いているのかは数字でしかわからない。

そんななかで、愛媛在住の方がTwitterで記事に言及してくださったんですね。

愛媛在住の方から頂いた嬉しいコメント


「越谷に住んでみたい」「関東に遊びに行くときは越谷にも遊びに行ってみたい」って。わざわざ越谷に、ですよ?(笑)

――すごい…!(笑)

青野:すごいですよね。記事もたくさん読んでくださっているらしくて、「越谷に来られるときはぜひご案内します」とお伝えしています。

福岡なクリエイターの方から頂いた嬉しいお言葉

あとは、福岡在住のデザイナーの方が、地域活性化の観点からKOSHIGAYAZINEについてFacebookで言及してくださって。「編集長の青野さんをリスペクトする」って…。

――うわ、本当だ。これもうれしいですね…!

青野:恐れ多いです。福岡の方は余談がありまして、この方の投稿のコメントに「越谷在住の青野って知ってるぞ」ってリプライがついたんですよね。なんと、福岡に少年野球時代の地元のつながりの知り合いがいた(笑)

――えっ。すごい偶然ですね。

青野:世間は狭いんだなあと(笑)あと、「つると」さんの取材記事を読んだ人が「つるとさんで働きたい!」と思って、実際に打診したなんていう話もあります。結局その方には、KOSHIGAYAZINEを手伝ってもらうことになったんですけど(笑)

「紹介されていたお店に行ってみました!」という報告を受けたりとか。こうしたできごとは、数字だけでは感じられない「届いた…!」という実感を得られますね。モチベーションになっています。記事をきっかけに、実際に人が動いているんだなと思うと、本当に始めてよかったなと思いますね。

オンラインから、オフラインへ。KOSHIGAYAZINEを起点とした活動を広げたい

――本格始動したKOSHIGAYAZINE。今後のビジョンを教えていただけますか?

青野:Webメディアとしてオンライン上で活動していくのはもちろんなんですが、もっとリアルな場も増やしていきたいと考えています。

「つると」さんと考えている企画もオフラインのもの。もっと越谷が盛り上がれるよう、オープンなコミュニティを作っていきたいんです。

以前、記事にも書かせてもらったコワーキングスペースのように、人が集まれる場がもっとあったらいいなと思っています。トークイベントなんかもやってみたいですね。堅いことをいうと、越谷がひとつの経済圏になったらいいなと思っています。

たとえば、小さな子どもがいる親がほっと一息つける場所や子育て世帯向けのシェアハウスを作るとか、イベントを企画するとか。シェア文化も根付かせたいなと。いろいろ試して、それをKOSHIGAYAZINEで発信していきたいですね。

おもしろい取り組みをやっていけば、若者も集まってくると思うんです。わざわざ都内に出なくても、越谷でもおもしろいことがやれるぞ、あるぞ」と思ってもらえる街づくりに貢献したいですね。

もともとPR(パブリックリレーションズ)や、コピーライティング、編集などの仕事をしていた経験も活かして、「越谷のムードメーカー」として、「この街が面白いと思ってもらえるようなムードづくり」をいろいろ仕掛けていきたいです。

――ゼロからイチ、ですね。

青野:はい。越谷はいわゆるベッドタウン。ベッドタウンって、要するに「寝るための街」なんですよね。

そんなベッドタウンを、僕は「寝ても覚めても楽しい街」にしたいんです。これからは、よりリモートワークも当たり前になっていくでしょうし。

――ど田舎じゃない、都心部に近い強みがありますよね。

青野:1時間くらいで都内に行けちゃいますからね。ど田舎じゃない…小田舎のよさを、もっと打ち出していきたいです。「地方」や「移住」って言葉が使われるとき、地方や移住が指す地域って、それこそ「ど田舎」じゃないですか。

「超都会」「超田舎」の両極端なんですよね。でも、「両者のいいとこ取りもありじゃない?」って思っているので。

KOSHIGAYAZINEのドメインって、「postcitykoshigaya」なんですよ。これは、「次の街づくりを考えていく」という想いを込めてつけたんです。メディアのタグラインみたいなもんですね。

KOSHIGAYAZINEは、メディアとしても、オフラインでの活動でも、新しいベッドタウンの形を実験して、発信できる存在でありたいですね。

――イチライターとして、ぜひ協力させていただきたいと思います。

青野:ありがとうございます!

KOSHIGAYAZINEは、「個を尊重したチームづくり」の実践の場でもあるんです。会社という組織ではやりづらい、だけどフリーとしてひとりでやるにも限界がある。そういった活動ができる場にしていきたいなと。

やるべきことを押しつけられたり、ただ従うことを求められたり。そんなのっておかしいなと。そうした仕事をするのは、人間じゃなくてロボットでいいじゃないですか。なんだか、ホリエモン(堀江貴文)さんのような主張になっちゃいますが(笑)

実際、将来的に今ある仕事の多くがロボットに取って代わられるとも言われていますよね。より人間は人間らしい仕事をできればなと。

KOSHIGAYAZINEは、関わる人がクリエイティブに活動を楽しめる場でありたいなと思っています。

今後、編集部も立ち上げようと思っているんですが、メンバーに合わせてもらうチームではなく、メンバーに合わせたチームを作っていきたいですね。「個性を活かすプラットフォーム」にしていきたい。人が関わるからこそ意味のある活動ができるチームでありたいです。

越谷在住者はもちろんなんですが、外からの視点もほしいなと思っていまして。

県外、さらには国外も問わず、越谷という街が好きな人、地域の街づくり、ローカルメディアに興味がある人に仲間になっていただければうれしいです。とにかく、越谷の「関係人口」をどんどん増やしていきたいんです。

――実際にわたしが越谷市外在住者ですしね。

青野:はい(笑)あとは、ライターだけではなく、デザイナーやカメラマン、動画編集者やコミュニティマネージャーなど、さまざまなスキルを持っている方からも力をお借りしたいです。

なんなら、編集長も適任者がいらっしゃったら、お任せしたいくらい(笑)この記事を読んで、僕の考えに共感してくださった方がいらっしゃれば、ぜひお声掛けしていただければ幸いです。

「KOSHIGAYAZINEで何か仕掛けてみたい…!」という方を、心よりお待ちしています。ぜひ、一緒にこの街を盛り上げていきましょう。

▽今回お話した場所

TOY BOX DINER

住所:埼玉県越谷市南越谷4-1-13

定休日:火曜

URL:https://toyboxdiner.owst.jp/

〈インタビュアー・文:卯岡若菜 / 企画・編集・撮影:藤田昂平

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