menu
menu

“本物の蕎麦づくりを目指して”  先代の意思と夫婦の絆がつくる、新しいSOBA屋のかたち

“本物の蕎麦づくりを目指して”  先代の意思と夫婦の絆がつくる、新しいSOBA屋のかたち

2017年に11月にリニューアルオープンしたSOBA 満月。新越谷から徒歩3分にある「カフェ風のお蕎麦屋さん」は37年前、先代が「蕎麦拠 満月」とした始めた場所をリノベーションした場所だという。

新しいスタイルのSOBA屋を目指して、「気軽に入れる」お店づくりを心掛ける。また、ご飯ものは置かずに、蕎麦だけを提供するというこだわりのあるお店だ。

今回は、夫婦で営む同店の店主 中島渉さんと中島まどかさんに、「SOBA 満月」オープンまでの経緯とそのこだわりを伺った。

今回ご紹介する「KOSHIGAYA ZINE」

中島 渉(なかじま わたる)

 

1983年生まれ、埼玉県越谷市出身。SOBA満月店主。高校生の時から蕎麦屋になることを目指し、修行を続けてきた蕎麦職人。

中島 まどか(なかじま まどか)

 

島根県出身。「SOBA屋 満月」を支える渉さんの相棒。

聞き手:青野 祐治(あおの ゆうじ)

 

ローカルストーリーメディア「KOSHIGAYAZINE」へんしゅうちょー。1987年越谷生まれ、越谷育ち。 越谷西高→青山学院大学卒。 広告会社やフリーランス、スタートアップでWeb編集、スピーチライティング、PRなどを経験。 大の巨人ファン。

子供のころから、蕎麦屋になるもんだと思ってました

――SOBA満月は昨年の12月にリニューアルオープンされたと伺いました。

渉さん はい。父がもともと、日本橋にある満月というお蕎麦屋さんに、15歳のときに修行しにいって。もうそのお店はないんですが、それから独立して、37年前にこの土地に、「蕎麦屋 満月」を始めたんです。まだ周りが田んぼだらけだった聞いています。

いわゆる「のれん分け」ですね。前のお蕎麦屋さんはもう、機械打ちの昔ながらの蕎麦屋さんで。かつ丼もあれば、カレーライスもある、親子丼もある、みたいな、そういう感じのお蕎麦屋さんだったんです。

37年やっていたんですけど、去年の3月で1回閉めまして。僕が、高校を卒業してから、東京などいろいろな蕎麦屋さんで修行して、そこでやっていたのが、手打ちによる蕎麦作りでした。そこで手打ちの技術を身につけていたのでどうせ店を継ぐのであれば、手打ちをやりたいなという想いがあったんです。

――小さい頃の夢はなんだったのでしょうか?お父様が、お店をされていたということですが、お店を継ぐつもりでいらしたんですか?

渉さん そうです。特に言われてはいないんですけど。もう、将来はこのお店を継ぐものだというふうに感じていましたね。

それで高校を出たら、すぐに蕎麦屋をやろうと思って。高校を出てすぐ、父にお店の手伝いをしたいと言ったんですけど。すぐにお店に入るよりは、外に出て勉強してからでも遅くないという話だったので、1回、東京に行ったんです。寮に入って、住み込みでやりました。

まず、「小松庵」という蕎麦屋さんの老舗のお店で働きました。東京では、まあまあ有名なお店なんですけど。

本店が駒込にあるんですけど他にも新宿、渋谷などにもあります。まずそこで修行をして、辞めてからもまた、他の手打ち蕎麦屋さんで修行していたんです。

それでここに戻ってきたときに、両親がもう歳だったということもあり、僕が継ぐことになったんです。その時は「昔からの夢が叶った」感じで感慨深いものがありましたね。

また、さまざまなお蕎麦屋さんで修行をしていくなかで感じたことがあります。それは、お蕎麦の出前というスタイルって、「絶滅危惧種」に近づいているなって。都内で修行していたときなんかも出前の蕎麦屋さんって、どんどん潰れていて。

それでも生き残っているお蕎麦屋さんって皆、蕎麦にこだわったお店が多かったんですこれから、蕎麦を続けるのであれば、手打ちで、蕎麦にこだわった蕎麦屋さんじゃないとやっていけないんじゃないかなというふうに思いました

――高校生から蕎麦に関連するお仕事をされていたんですか?

渉さん 高校生の時は、近所の蕎麦屋さんでバイトをしようと思っていました。でもそこの面接に落ちてしまって(笑)それで、隣りの和食レストランみたいなところを勧められて、そこでアルバイトを始めたんです。高校一年生のときからずっと、飲食店をやっているので、意外と飲食店は長いんですよね。今年、20年目くらいですね。

――本当に料理職人というか。和食や蕎麦をやっていこうという決意があったんでしょうか?

渉さん そうですね。レジのアルバイトなどでも良かったんでしょうけど、やっぱり、将来は蕎麦屋をやると決めていたので、どうせだったら飲食店に入ったほうが良いだろうと思っていたんです。

――まさに一筋という感じですね。

渉さん そうですね。何も考えていないようで、本能的にそれを選んでいたんでしょうね。

まどかさん そんなに、一筋っぽくないんですけどね。

――そうですか?

まどかさん 一緒にいると、「蕎麦!和食!一筋!」みたいな感じではないんですけど。やっていることは、やっぱり、傍から見ると、一筋な感じですよね。自分も一筋な気持ちじゃないでしょ?

渉さん ぜんぜんない。

まどかさん そうそう。そういう「一筋でいくんだ!」みたいなのがないけど。結果、そういう感じになっていますね。

――蕎麦を作ることが昔から生活の一部のように感じます。ご両親がやられていたということもありますし。

渉さん そうですね。家に帰ってきて、すぐ、「ざる蕎麦!」と言ったら、蕎麦が3分で出てきますからね。

――そうなんですね(笑)都内で、いろんなお蕎麦屋さんでお仕事をされたときは、何年間くらい修業をされたんですか?

渉さん 18歳からはじめて約10年ですね。

――その間に、ご自身でお店を出してしまおうとか考えなかったんでしょうか?

渉さん それはなかったですね。やっぱり、一番の目的は、両親たちが2人でやっていて、歳もいい歳だったので、早く助けてあげなきゃというところだったので。自分で新しく違うところにお店を出すという感じは、ゼロでしたね。

――本当にご実家を継ぐという意志があったんですね。

渉さん そうですね。早く入って助けないと、みたいな。

「そばからは離れたい」自分の可能性を広げるために、とんかつ屋で働いたことも。しかし、そこで運命の出会いが

――それで、28歳で戻ったんですか?

渉さん 戻ってこようと思ったんですけど。それから約5年くらい、隣りの町で蕎麦屋をやったんです。「そば名倉」というお店が、東川口にあるんですけど。

前に勤めていた小松庵を辞めた28歳くらいから、色々と人生が動き始めた気がします。今の奥さんと付き合いはじめたり、結婚したり、子どもが生まれたりというのが、30歳くらいであって。当時はそういったことがあったのでなかなか、お店を継ぐという感じにはなれなかったです。

やっぱり、会社員というか、まだ雇われているほうが安定した収入があるじゃないですか。休みもちゃんとあるし。というところで、なかなか踏み出せなかったんですけど。子どもがある程度大きくなったので、やろうということで満月を継ぐ決心がつきました。

――ちょうどお父様もお店を一旦閉じるということもあり。

渉さん そうですね。

――いろいろタイミングが重なり、良いタイミングだったということですね。ちなみに、奥様との出会いは?

渉さん 前のバイト先で。東京でバイトをしていたときに出会いました。

――小松庵ですか?

渉さん 違うんです。小松庵を辞めて一時期、蕎麦から離れていたんです。とんかつが好きだったので(笑)。

まどかさん とんかつが好きで、とんかつ屋さんで働いたらしいんですよ。

渉さん とんかつとジャイアンツが好きだったので。

――僕もジャイアンツすごく好きです(笑)

渉さん だから、東京ドームの近くで働きたいというのと。

――良いですね!

渉さん あと、とんかつ屋さんで働きたいというので検索してヒットしたのが、とんかつ和幸の後楽園店で。そこで知り合って。

――ちょっと浮気をされたんですね(笑)

渉さん そうなんですよ(笑)一応、かつ丼とかもやっているじゃないですか。だから、カツ丼を覚えておいても損はないなという思いでやっているんですけど。

――なるほど。カレーとかを含めて、いろいろやられていたので、それも一つのレパートリーとして持っておこうと。

渉さん ええ。

――ジャイアンツ戦も、すぐに見に行けるし(笑)

渉さん そうなんですよ。仕事が終わってから見れるし、みたいな(笑)

――奥様も一緒に見たり?

まどかさん 私は…そんなには(笑)ジャイアンツファンではないので(笑)ジャイアンツファンではないけど、情報がいっぱい入りすぎて、他のチームよりも、ジャイアンツのことが、一番詳しくなっていく、みたいな(笑)そんな感じです。

――和幸でお知り合いになったんですか?

まどかさん そうですね。私もバイトでいて。掛け持ちで、遊園地で働いていたので。

――ラクーアですか?

まどかさん はい。掛け持ちで、とんかつ屋さんに行ったら、もうダブルヘッダーで、すぐに行けるじゃないですか。お昼までは働いて、夕方からとんかつ屋さん、みたいな感じで働けるので。というので、とんかつ屋さんでバイトをしていました。とんかつが好き!とかではないけど。そちらで出会いました。

――ちなみに、奥様は、どちらのご出身ですか?

まどかさん 私は、島根県です。

――いつ頃から上京されてきたんですか?

まどかさん 21歳くらいかな…。もうけっこう長いですよ。何年ですかね?18年です。

――東京に出てきたきっかけは

まどかさん きっかけは、テレビ関係の仕事がやりたかったんですけど。ちょっと、厳しさに挫折して、普通にフリーターでアルバイトをしていたんですね。

それで、21歳か、22歳くらいで、バイトをいろいろ転々としていたときに、東京ドームシティアトラクションズが後楽園遊園地だった頃に、遊園地に入って。そこから、もう、ずっと勤めていて。ヒーローショーのアルバイトをやっているんですけど。そこのアルバイトが、すごく好きになって、ずっと続けちゃっています。

――お子様とか、接客をするのが好きなんですね。

まどかさん そうですね。お子様と、あと仕事の内容と。

渉さん 遊園地で働くのが夢だったんですよ。

まどかさん 高校生のときの、「将来の夢は?」と聞かれて、「遊園地スタッフになりたいです」みたいなことを言っていて。

遊園地が好きみたいなんですよね、根本的に。乗り物とかも好きだし。じゃあ、遊園地に行こうとなったときに、バイトを掛け持ちしたかったので。

乗り物に行くと、夜まで働かないといけないから。そこのヒーローショーだと、夜は、ヒーローショーをやらないので。

だから、夕方で終わって次のバイトに行けるシフトのところに飛び込んだら、すごくはまっちゃった、みたいな。ヒーローが好き!とかではなかったんです。仕事の内容とか、仲間とか、お子様と触れ合えるという、3点セットではまっちゃって(笑)

――偶然が重なったんですね。そこが運命の出会いだったと。

まどかさん そうですね。出会ったのが27歳のときで、結婚したのが28歳のときです。

渉さん それで30歳のときに子どもが生まれたんです。

――20代後半で人生の転機が一気にやってきたってところですね!

渉さん そうですね、ポンポンポン!みたいな感じで。

――結婚された当時はどちらにお住まいだったんでしょうか?

まどかさん 結婚当初は東京に住んでいたんですよ、2人で。それで結婚してから半年くらいで、越谷に拠点を置きたいと思ってレイクタウンに引っ越してきました。そこに4年ほど住んで、いまは、お店から近い越谷の蒲生に引っ越しました。

渉さん 最初、レイクタウンから、蒲生に引っ越すって、完全に都落ちだと思っていたんですよ。だけど、住んでみると、蒲生ってけっこう良いところなんだなと思って。

――そうですよね。最近、お店も増えましたし。

渉さん すごく良い人ばかりで。蒲生って良いところだなと。誤解していてごめんなさい、みたいな。

――住んでみるとわかりますね。

 

新しいスタイルの「SOBA屋」をつくりたい

――いよいよ、お父さまのお店を継がれることになるわけですが、ご両親の反応はどうだったんでしょうか?

渉さん うーん…。親たちは、特に、反対みたいなものはないというか。もともと、一緒にやりたいというのがあったけど、言えなかったというところがあったので…。

もうリニューアルしてお店を継ぐとなったら、すんなりとはいったんですけど…。ただ、僕はお蕎麦屋さんの新しいスタイルというか、世の中の流れに合わせた「気軽に楽しめる」お蕎麦屋さんをつくりたいと思っていたので、その点では、考え方に乖離がありましたね。

父は50年くらい、ずっと昔のスタイルでやっていたので。母も、昔のそういうお店しか知らなくて…。

「ちょっとつまんで飲んで、最後は蕎麦でしめる」みたいな、そういう今のスタイルのお蕎麦屋さんの形をなかなか理解してもらえなくて(笑)。そこで、揉めたというよりは、なかなかわかったもらえないところがあって。

――ジェネレーションギャップみたいなことですかね。

渉さん そうですね。蕎麦屋というと、やっぱり、お昼回転命みたいなところがあって。もう、お昼時に、サラリーマンの人たちが、バーッときて、12時から13時の間が勝負みたいな。すぐに食べてもらって、すぐに帰ってもらって、みたいな。

――立ち食い蕎麦のような。

渉さん そう。お昼命で。夜はもう、やっているのか、やっていないのか、わからないみたいな、そういうスタイルだったんです。それが今は、特にランチメニューみたいなのはやっていないですし。ごはんものもないですし。サラリーマンみたいな方も、あまりお越しにならないというか。

うちは逆に、1人の女性客も多いんです。昔のお店は、女性客は、ほとんど入らないような、入りづらいお店だったんですけど。今は、もう、1人の女性にも来ていただけますし。

まどかさん 言われるんですよね。「前より入りやすくなったわ」みたいな。

――たしかに、女性受けも良さそうですね。

渉さん このお店から近いVARIE(新越谷駅直結の商業施設)が女性のお店じゃないですか。服なんて、女性向けのものが多いですし。南越谷は、女性客が多いので。ターゲットは女性。女性に来てもらおうと思いました。

とにかくゆっくり蕎麦を楽しんでもらって、楽しい時間を過ごしてもらいたいというコンセプトにしていたんです。それをするには、前のお店のかたちだとできないと思って。まずは「おしゃれで、ゆったりした空間をつくる」必要があると考えたんです。

――僕も、こちらのお店を知ったのが、僕の奥さんからの情報でした。「最近、おしゃれなお蕎麦屋さんができたよ」という話で。2,3回、子どもを連れて、食べに伺ったことがあります。おいしいですね。内装とかも、かなりこだわったんですか?

渉さん そうですね。

――まるでカフェのようなつくりですよね?もともとのかたちは残しつつ?

渉さん はい。増築もしました。厨房を広くして、お店も広くできたんです。奥には蕎麦を打つ機械室があったんですが、それを全部壊したりしました。手打ち場は、道路から見える配置にしました。

――確かに通りすがりの人にも蕎麦を打っているところが見えますね。構想してから完成するまで、どのくらいかかったんですか?

渉さん 3年以上はかかっていますね。

――2015年くらいからお店をリニューアルしようと?

渉さん 小松庵で働いていたときの先輩がいるんですけど、その先輩に相談したら、知見のある方を紹介をしてもらっったんです。

それから、毎週のように、どういうデザインをするとか、どういうかたちにするかという話をして1年半くらい、皆で話をしながら、リニューアルオープンに向けて話しを進めていきました。

順調に進んだリニューアルオープンのはずが…。紆余曲折を経たオープンまで

――先代のお店は一旦閉じられたと伺いました。

渉さん そうなんです。2017年の3月にお店を閉めて。2018年の7月くらいにリニューアルして、オープンしようと思っていました。

でもリノベーションするのに必要な借入が、いきなり難航しはじめまして(笑)ドタキャンされたりとかして。

お店を閉めているのに、また、借入先を探さなきゃいけないことになってしまって、それに時間を要しました。7月にオープンする予定が、その年11月27日までずれだんです。周りからは、「どうしたの?どうしたの?」「逃げたの?」みたいな(笑)

借入先でオッケーがでていたところが、「いや、実はだめでした」と言われてしまったんで。「お店閉めちゃったけど…」みたいな感じになり…。どこを探す?みたいな。

新たに借入先を探したり、審査してもらったりするのに、また何カ月もかかってずれ込んで…。まぁ無事、年末にオープンはできたんで良かったんですけど、そのときはヒヤヒヤしましたね(笑)

――紆余曲折があったんですね…。実際に、リノベーション、お店を改築する期間は、どのくらいかかったんですか?

渉さん 3カ月くらいですかね。

――そんなスピード感でできてしまったんですね。

渉さん そうですね。

――もっとかかるのかなというイメージがありました。

渉さん リノベーションなので。ぶち壊して、みたいなので。そこまで、建て直すわけではないので。

――2017年3月に閉められて、その後、3,4カ月かけて。

渉さん 7月半ばくらいから、まず壊して。8月くらいから、本格的に。

――お借入れの話が、もっとスムーズだったら、もうちょっと早く着手できたということですね…。

渉さん そうですね…。

――ちょっと不安な日々もありつつ…。

渉さん リニューアル前の満月が、37年前の6月18日にオープンしたんですよ。僕の誕生日も6月18日なんですよ。

――すごい運命的ですね。

渉さん オープンしてから2年後か3年後の6月18日に、僕が生まれたので。1回お店を閉めたときに、6月18日を目標にしよう、と。誕生日が、リニューアルの誕生日だというふうに意気込んでいたら、ぜんぜんできなくて(笑)

――1年ずらすわけにもいかないですし…。

渉さん そうそう。ずるずるいって。ここまできたら、オープンできればいいやという感じになり。

まどかさん すごい不安だったんですけど。でも、お父さんお母さんたちが、「こういうお店をやるんだという心の整理をつけるのに、このくらいの長い期間があって良かったんじゃないか」みたいなことを言っていて。

やっぱり、話がスムーズに進みすぎて、お父さんとお母さんは、気持ちもついていかないまま、このお店が出てきたら、もっと大変だったかもしれないと。

やっぱり、時間がかかって、すごく大変だったけど。それは、逆に、「そういう時間をもらえたのかもしれないね」と言っていたよね。

――ポジティブですね。

まどかさん すごいポジティブ。

渉さん マイナスには考えないタイプなので。

まどかさん そうそう。後悔しないんだよね。

――いろんな出来事をプラスに考えるんですね。

まどかさん そう。「それが運命だ!」みたいな感じで受け入れていく人間性なので。

渉さん ぜんぜんありですよね。今、普通にやれているだけで、もう、ありですからね。

まどかさん そのときは、つらかったですけどね(笑)

渉さん そのときは本当に。

――今、振り返ると。

まどかさん そうそう。

 

一品食べて、お酒を飲み、蕎麦でしめる。”夜型蕎麦店”はニーズがある

――こちらで提供させているお蕎麦は「生粉打ち」というやり方で作られていると伺いました。どういった作り方なのでしょうか?

渉さん 「生粉打ち」と「十割」という意味なんです。

――その作り方はどちらで学ばれたんでしょうか?

渉さん 小松庵ですね。生粉打ちって、もう、今はだいたい「十割蕎麦」というふうに言っているんです。生粉打ちって、昔の古い言い方なんですよ。だから、わかりづらいんですけど。

生粉と、小松庵では言っていたので。名倉という東川口のお蕎麦屋さんも、小松庵で働いていた店長がいたので。そこでも、生粉と言っていたので、生粉打ちというふうにしているんです。

これはそばの打ち方のことを言っています。蕎麦100%で打つことを生粉打ちと言うんですね。普通の蕎麦は、二八という感じ。つなぎが2割入っていて、蕎麦粉が8割なので、二八と言うんですけど。

まどかさん 十割蕎麦をちょっとかっこよく言ったら、生粉打ちという感じかな(笑)

――なるほど!

まどかさん 一般的には二八にくらべて、十割のほうが難しいと言われているんです。

渉さん それは、もうぜんぜん、難しい。二八であれば、まどかさんでも打てます(笑)

よく、素人さんが、テレビとかでやってますよね。タレントさんが作っているじゃないですか。でも、ちょっと形が凸凹だったり、太すぎてしまったり…十割だったら、絶対に、そんなことできないです。ボロボロになってしまう。

まどかさん ボロボロになる。

渉さん もう、麺と呼べる状態にもならない。そのくらい難しさがあるんですよね、生粉打ちには。

――コツというか、職人だからこそできるということなんですね。

渉さん 技術はかなり必要だと思いますね。

――機械でも難しいんですか?

渉さん 機械でもできるんですけど。手打ちのほうが。機械打ちが悪いと言っているわけではないんですけど。おいしいものを目指すんだったら、手打ちのほうが上手にできると思います。

――蕎麦打ち体験とかもやってみたいですけど(笑)難しいですかね(笑)

まどかさん やっぱり、そう思います?

――思いますね。

渉さん いつか、言われたら、どうぞという感じではあるんですけど。

――親子向けなどにも、けっこうニーズもありそうかなと。

渉さん うちみたいな狭いところだと、ちょっと、難しいかもしれないですけど。内間が広いお店だと、休みの日に手打ち教室みたいなものをやっているお蕎麦屋さんは、けっこうあるんです。

――あるんですね。

まどかさん それは、いつか、言われるときがくるのかな、というか。やるときがくるのかな、と。遠い将来として、なんとなく思っていますけど。

やっぱり、その声をもらわないと、なかなかこっちも腰が重くて、動き出さないから。ぜひぜひ。幼稚園とかでやったら良い。

――出張みたいな感じで。

まどかさん 蕎麦打ちを見せてあげたい。でも、子どもは飽きそうですけどね!(笑)

渉さん 面白くはないと思いますよ。

――どのくらいかかるんですか?

渉さん 鉢というか、こういう丸いやつに、蕎麦粉を入れて、水を入れて、バーッと合わせて、粘土みたいな玉にするんですけど。

それが、だいたい10分くらいかかって。その玉を、台の上にのっけて、手でのばしていくのが、だいたい10分くらいかかって。のばしきったやつを、たたんで、切るのが、10分くらいかかるので。全部で30分ちょっとくらいかかります。

――それで何人前くらいなんですか?

渉さん 20人前ですね。

――そんなに!それですぐ味わえるんだったら、見ていたい。

渉さん 興味がある人は、良いかもしれないけど。ずっと、こうやっているんですよ。見ていて、絶対に面白くないだろうなと思うんですよね。

包丁がすごくでかいので、子どもなんかは「うわ~!かっこいい!」みたいな感じで、切るところは、まあまあ人気があるんですけど。のばすところは…。

まどかさん のばすところと、こねるところは地味なので。私も、途中で、「地味だな~…」と思って飽きちゃう(笑)

渉さん もうすぐのばし終わって切るのに、というところで、だいたい帰っちゃう。

――これからいいところなのに。

渉さん 今からなんだよ~!というふうにやっているのに。

まどかさん そこが長くて、あ~…。

でも、切るところを見たら、本当に、「はぁ~、あんなに薄く切ってる」と思って。本当に感動しました。

――職人芸ですね。嬉しそうですね(笑)

渉さん …(笑)

まどかさん 蕎麦打ちするところを、私はほとんど見てこなかったので。オープンして、何カ月かして、打っているところをやっと見たのかな。

――初めてそこでご覧になったんですね。

まどかさん かっこいいな!と思って。

渉さん 本当の僕を(笑)

まどかさん 今まで何も知らずに、ただ蕎麦を茹でて、出して、手伝いをするだけで。本当の職人のところを見て、かっこいいじゃないか!と。

――改めて惚れ直したんですね。

まどかさん そうですね。いつもとは違うなと思って。

――良いですね。お酒とかもいろいろあるんですね。

渉さん 前のお店は、お酒はまったく置いていなかったんですよ。瓶ビールくらいはあるような状態ですけど。

――日本酒のレパートリーが多いという印象ですね。

渉さん 隣りが良い酒屋さんじゃないですか。昔から良い付き合いをさせてもらっているので。やっぱり、今は、お昼いっぱいセットものでお蕎麦を売るというスタイルじゃなくて。

やっぱり、「夜に一品食べてもらって、お酒を飲んでもらって、しめで蕎麦」という。夜型の蕎麦屋さんにニーズがあるので。

(新越谷駅の)東口はけっこう安い居酒屋とか、いっぱいあるじゃないですか。若い人だったり、忘年会でわーわーやるぶんには良いですけど。ある程度の歳になって、役職に就いているような方たちが飲む場所ではないとは思うんです。静かに、大人が飲めるようなかっこいいお店を。

西口のほう、こっち側だったら、静かじゃないですか。そういう意味では、差別化できていて、良いかなという。誰かに紹介したくなるようなお店を目指してはいるんですけどね。

――お昼は、女性客も入りやすそうですね。

渉さん そうですね。男性客もきてはいただけるんですけど。やっぱり、僕らの世代って、ごはんものと、汁ものは、麺類は、一緒に食べたくないですか?

――なりますね(笑)

渉さん ですよね。ラーメン屋さんに行ったら、絶対にごはんもあってほしいし。蕎麦だけ食べて、お昼を終わりにするのって…。若い渉さんは、やっぱりごはんものが好きだと思うんです。

お年寄りの男性の方だったら、蕎麦だけ食べても良いという感じで、きてはもらえるんですけど。あとは、本当に、お蕎麦が好きという方にきてもらえる感じで。

ご飯ものは置かない。僕は、蕎麦一本で勝負したいから

――ごはんものを置かないこだわりは?

渉さん もともとが、蕎麦を通して、楽しい時間を過ごしてもらいたいというのと。あとは、お蕎麦の本当のおいしさを伝えたいという二つがあって。

――追求したいという感じですか?伝えたいということですか?

渉さん この付近でお蕎麦一本でやっているお蕎麦屋さんって、ないと思うんです。自分のところで粉を作って、完全な手打ちで、というのは。

だいたいの蕎麦屋さんって、ひいた粉が届いて、半分は手打ちで、半分は機械、みたいなところがあるので。完全に、全部自分のところでやっているお店がなかった。

やっぱり、「完全に自分のところでやると、蕎麦ってけっこうおいしいんだよ」ということを知ってもらいたかったんです。ごはんものも、やっても良いんですけどそれをやらないのは「蕎麦にこだわっています」というメッセージなんです。

たぶん、ごはんものもすごくニーズがあるので、やってみたいという気持ちもありました。ただ今のスタッフは、両親と、僕ら2人の4人でやっていて。それで、今からかつ丼とか親子丼と、蕎麦のセットというのをやると、本当においしいものが安定して提供できる自信がなかったんです。

そこで、中途半端なものを出すよりは、本当においしいものだけを出せる。将来的に、両親が引退して、若い子を雇って、もっと回せるようになったら、やっても良いとは思うんですけど。

今は、安定して出せないので、ちょっとお断りしているという状況です。絶対にやるつもりがない、というわけではないですね。

――お客様に対する誠実さですね。

渉さん そうですね。一番言われたくないのは、「蕎麦はおいしいけど、他は、ちょっと。」「普通だよね。」「なんか、微妙だよね。」という感じのことを言われたら、蕎麦をこだわっている意味がなくなっちゃうじゃないですか。それが嫌ですね。

まどかさん しわ寄せがきそうだったんですよね。かつ丼を作るとなったら、他の人への蕎麦の提供も遅くなるので。

かつ丼のために、蕎麦だけの注文の人が、もっと待つことになっちゃうとか。それをやることによって、他の人、お客様にしわ寄せがいきそうなので。

渉さん 二兎を追って一兎をも得ずみたいな状態。

まどかさん そこで、やっぱり、種類を広げて迷惑をかけるんだったら、ちゃんとできるものを確実に届けたい、という感じですね。

――蕎麦だけでも、かなりお腹いっぱいになるというか。けっこうボリュームもあるなというイメージはありますが。

渉さん 大盛りで食べれば、たぶん、そこまで足りないという人はいないとは思うんですけど。やっぱり、俺なんかは、他の蕎麦屋さんに行ったら、もり蕎麦と天丼が食べたいんですよね(笑)

でも、自分がつくるものには妥協したくないんです。できれば、本当のお蕎麦の味を楽しみたいという方にきていただきたいなという思いがあります。

ーーありがとうございました!

 

▽今回お話しを伺った場所

SOBA 満月

住所:埼玉県越谷市南越谷4-15-1

営業時間:11:30〜15:00(L.O.14:30)、17:00〜21:00(L.O.20:30)

定休日:日

TEL:048-987-1727

URL: https://soba-mangetsu.jimdo.com/

Sponsored Links

関連する記事

最新記事

お問い合わせ CONTACT

KOSHIGAYAZINEへのご相談は、
お気軽にお問い合わせください。
担当者よりご連絡いたします。