【埼玉県越谷市の古民家複合施設「はかり屋」】異なる“本物”のかけ算が生んだ「本物が集う場所」。過去を未来に手渡す“はかり屋”誕生秘話
旧日光街道沿いにある、古民家・はかり屋。明治38年に建てられた旧大野邸・秤屋が、2018年4月に複合施設として新たに生まれ変わった。
今では通りでひときわ目を惹く存在として、NHK「ふるカフェ系ハルさんの休日」での放映、登録有形文化財への登録を実現。これまでにKOSHIGAYAZINEでも何度も光を当ててきている。
今回スポットライトを当てたのは、そんな「はかり屋」誕生の立役者、畔上順平さんと安田友樹さんのおふたり。
違う世界で活躍しているふたりの出逢いから2019年4月にオープンから一周年を迎える「はかり屋」の誕生、そして越谷の未来に至るまで、はかり屋の一角で熱く熱く語っていただいた。
畔上順平(あぜがみ じゅんぺい)
越谷出身、越谷育ち。「一般社団法人 越谷テロワール」代表理事。越谷市を拠点とする、建築会社「株式会社 けやき建築設計・欅組」代表取締役社長。「はかり屋」の管理・運営も担っている。
安田友樹(やすだ ともき)
越谷出身、越谷育ち。「一般社団法人 越谷テロワール」理事。北越谷の創作フレンチレストラン「楽の蔵」のオーナーシェフをする傍ら、「はかり屋」にあるキッシュとフレンチ惣菜のお店「minett」のオーナーでもある。
聞き手 卯岡若菜(うおか わかな)
さいたま在住フリーライター。取材・インタビュー記事を執筆。子ども時代から県をまたぐ引っ越しを数回経験している。自分のなかに地元感覚があまりないからこそ、地元を愛する人たちの想いに触れることを好む。
越谷から飛び出たふたりが戻り、邂逅。“はかり屋”がつないだ異分野の「本物」
「幼少期に暮らしていた家の近くにあったのが、はかり屋だったんです」――畔上さん
――畔上さんの本職は一級建築士なんですね。
畔上順平さん(以下、畔上):そうです。
大学4年生の頃に木造建築にどっぷりはまったんですが、所属していた研究室がまちづくりに関することだったので、当時は家よりも町全体に興味を抱いていました。
そのなかでも、わたしが研究していたのは、都市部ではなく地方。建築による、まちおこしなどですね。
実際に地方を訪れるなかで、限界集落にある古民家に触れる機会もありました。
大学卒業後は都内にある木造建築を扱う会社に就職。町から家に視点が移りました。
毎日終電で帰宅するような生活を送っているなか、自分が長男であることもあって、漠然と「いつかは生まれ育った越谷に戻るんだろうな」と思っていたんです。
――そして、実際に越谷に戻られたんですね。
畔上:実家に戻ってくる形でですね。働き方がハードでしたし、いずれは独立したいなとも考えていました。
ただ、地元にコネやツテがあったわけではなくて、見切り発車に近かったです。
友人に声を掛けて仕事をもらったりして、がむしゃらに動いていました。水を飲むだけで暮らしているような時期もありましたね(笑)
――はかり屋に行き着いたのは、お仕事がきっかけだったのでしょうか。
畔上:越谷にいずれ戻ろうと考える一方で、越谷には何もないという思いも昔から抱いていたんです。
戻るにあたって、越谷には何があったっけ、何か残せるものってあったっけ、と考えて。
そこで思い出したのが、幼少期に暮らしていた家の近くにあった旧大野邸、今の「はかり屋」だったんです。
――身近にあるものには案外気づきにくいのかもしれませんね。
畔上:ああ、越谷って宿場町だったんだよな、と思い出しました。
調べてみたら、はかり屋以外にも結構な数の古民家が残っていて。
残す活動をしているのかな、と思って続けて調べてみたところ、なんと誰もやっていない。このままじゃいけないな、と思ったんです。
でも、いきなり残すための活動を始めるにはハードルが高かったため、有志で立ち上げた「旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会」に加わりました。
まずは知ることから始めよう、ということで。
「旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会」に加わっていたひとりが、安田さんのお父さんでした。
「越谷って何があるの?に答えられなかった自分がいたんですよね」――安田さん
――おふたりは元からの知り合いではなかったんですね。
安田友樹さん(以下、安田): そうなんです。父が元から古民家がすきで。
畔上:「古民家を使って店をやっている、君と同い年の息子がいるんだよ」という流れで知り合いました。
――安田さんが営んでいる「楽の蔵」も古民家ですよね。安田さんご自身も古民家に興味があったんでしょうか。
安田:興味はありましたね。古民家が、というよりも、もともと「本物」がすきなんです。
僕は料理が本職で、高校を卒業して12年間、全国各地を周りながら料理の腕を磨いていました。
独立しようと思って越谷に戻ってきたのが、2009年のことです。
――独立先に越谷を選ばれたのは、地元への愛着が理由ですか?
安田:地元で開業したかった思いもありますが、実は迷いもありました。
修行中に移り住んだ長野の地で経験した農家さんとの関わりがとてもよくて。
一緒にきのこの収穫に行くなど、二人三脚の間柄だったんです。
「越谷に戻ったら、こういう関係性は築けないんだろうなあ」と思っていました。
――でも、越谷に戻って開業されたんですね。
安田:それが、越谷ではできないというのは、僕の思い込みだったんですよ。
越谷で開業してから、僕が使いたいヨーロッパ野菜の栽培に挑戦してくれる越谷の農家さんに出会えまして。
かれこれ10年、二人三脚で仕事をさせていただいています。
――安田さんのお店は本格フレンチが味わえるお店だとうかがっています。
安田:越谷で本物のフレンチを味わえる店をやりたかったんです。でも、周囲には猛反対を食らいました。
「越谷でそんな価格帯のランチなんて、成功するわけがない」とか。まずは3年間がむしゃらにやろうと思って始めましたね。
――そして、お父さまをきっかけにして、「はかり屋」と畔上さんに出会った。
安田:そうです。両親がやっている会の活動を見ながら、「僕も何か力を添えたいな」と思って。
町づくりには食のコンテンツが必須なので、そちらで協力できると思ったんです。
修行中、「越谷って何があるところなの?」と訊かれたときに答えられなかった自分がいたんですが、「越谷にも古民家があった」ことをあらためて認識する出会いでしたね。
「綱渡りの連続でした」――“はかり屋”誕生までの奇跡のような軌跡
――旧大野邸が「はかり屋」に生まれ変わるまでの経緯は、どういったものだったのでしょうか。
畔上:きっかけは、相続税の問題です。
古民家はみな抱えている課題なんですが、現家主が亡くなったあと、次の世代には莫大な相続税が課されます。
相続を機に売り払われて、宅地化されてしまう古民家は本当に多いんですね。「はかり屋」もその宿命を負っていました。
安田:億単位の相続税をポンと出せる人なんて、そうはいませんからね。
畔上:「はかり屋は旧日光街道の顔になる古民家だから、なくならないようにしないと」と以前から会のメンバーで話していたんです。
そうしているうちに、住まれていたお母さまが亡くなられて、「売ります」という話が浮上した。
そうなると、もう外野からは止められないわけです。買いたくても買えるだけの資産があるわけではありませんから。
ただ、「はかり屋」の取り壊しだけは防がなければ、との思いで、買い手を安田さんのお父さんと調べたんです。
すると、蔵を残すプロジェクトを行なったことがあるポラス(越谷市に拠点を置くハウスメーカー)さんが買い手だとわかった。
「これは、ワンチャンスあるかもしれない」と思ったんです。
――不幸中の幸いだったわけですね。
畔上:そうです。ポラス側は宅地用地として購入していたわけですが、わたしたちが「待った」をかけました。
「築120年の古民家をなくしてはいけない」「シンボル的存在なので、何とか残したい」と。
こちらの要望に対して、ポラスさんの返答は「運営できるなら残せるよう社を説得できるかもしれない」でした。
――おお。
畔上:でも、これは全然安心できる答えじゃなくて。首の皮一枚つながっただけなんですよね。
わたしは建築の専門家であって、店舗運営のことはわかりませんから。
「これは安田さんの力を借りるしかない」ということで、安田さんに声をかけました。
安田:事業計画はどうするのか、どうやれば収益を得て運営していけるのか、どんなお店を入れるのかについて、すぐに考え始めなければいけませんでした。
でも、すぐにはじめられるわけではないので、2年間くらいはイベントの際に建物をお借りするレンタルスペースのような使い方をしていました。
畔上:ただ、ポラス側としても、「いつまでも待ちますよ」とはいかなくて。
そもそも、役員が全員残すことに賛同してくれているわけでもなかったんです。
なかには、「さっさと壊して宅地化を」という声もありましたから。
安田:まずやったのは、はかり屋を使った「クリエイターズヴィレッジ」というイベントです。
3年前の「ひな巡り」に合わせて開催しました。
きっかけは、ポラス側に話を聴いてきた父の、「どうも雲行きがあやしくなってきたぞ」というひとことです。
宅地化を求める声が大きくなってきていたんですね。
その父の言葉を聞いたときに「動かなきゃ」と思い、深く考える間もなく、半ば勢いで父にイベントの話を持ちかけました。
その後、社長室にイベントの開催を畔上さんと直談判しに行ったんです。
畔上:何の後ろ盾もないのに、めちゃくちゃ熱く安田さんが語っていた姿を覚えています。この行動は結果的にスライディングセーフだったんです。
あとから知ったことなんですが、はかり屋の土地を残すか分譲用地にするのかを決める重役会議の日が、この2週間後だったので。
――え、怖い…!ギリギリセーフだったんですね…。
安田:土地を買ったのはポラスさんなので、タイムリミットをわざわざ僕たちに教える必要はありませんからね。結果的に滑り込みセーフだったんです。
クリエイターや飲食店を招いて行なったクリエイターズヴィレッジには、様子を見にきたポラスさん含め、2日間で2,000人程度の人が来てくれました。
これは、ポラスさんへのプレゼンでもあったんですね。
マーケティング的には、このあたりって「こんなところに誰がくるの?」っていう立地じゃないですか。
だからこそ、「この場所にも人を集められるんだ」ということを伝えたかった。
――無事イベントが成功し、風向きが変わったのでしょうか。
畔上:まずは成功させたぞ、と思いながら、ポラスさんに安田さんとお礼の挨拶に向かいました。
わたしたちとしては、「ここから交渉を始められるかな」という心づもりだったんです。
それなのに、行ってみたら「あなたたちふたりになら任せられます。
持続的に運営できるような事業計画を出してもらえるなら、ぜひお貸ししましょう」という“即答”でした。
安田:「集客できることがわかったでしょ?」というボールを投げたつもりが、剛速球で「本格始動させてね。できなきゃ壊すよ」と返されてしまった。
ここまでくると、「できません」とは言えませんから、「やらせてください」と即答しました。
正直、とんでもないことになっちゃったな、とも思いましたね。
「0時から電話で打ち合わせをして寝落ちする、なんていうこともありました(笑)」記憶がないほど濃密だった立ち上げ期間
――ここから、具体的に今の「はかり屋」の計画が進み始めたんですね。
畔上:わたしは「ハコ」づくりを、安田さんは誰を呼び込むのかという作業・リーシングに入りました。
ふつう、平行して進めないんですよ。だって、どんな人や店が入るのかわからなければ、どう修繕していっていいのかわからないじゃないですか。
ただ、ポラス側が提示した期限が4月時点で12月オープンだったんです。
「古民家の安全性を担保するために、もう少し時間が必要だ」と交渉して、最終的に2月末の完成が期限になりました。
10カ月程度という時間は、異常な短さです。たいがいは2~3年かかるものなので。
しかも、内装工事を進めているのに、この場所に誰が入るのかはわかっていないんですよ。
「俺、誰のために工事進めているんだろう?」って思いましたよね(笑)
安田:リーシングをする際に、僕は一本の軸を持っていました。
それは、「本物を提供できる人・店」であること。僕が考えているはかり屋のキャッチコピーは、「本物の場所で知り合える、本物の幸せ」なんです。
「はかり屋」が本物の古民家であることはもちろんなんですが、ここは住所が“本町”であることからもわかるように、旧日光街道の中心地。
はかり屋に集まっていたであろう旦那衆は本物志向の持ち主です。
加えて、大野家は越谷の名家なんですよね。
畔上:今、わたしたちがいるところは元々蔵だったのですが、1階は改修工事を行なう前、畳敷きの空間でした。
ふつう、蔵に畳を敷くことはないんです。
これが何を表すかというと、ここで旦那衆が酒を酌み交わしたり遊んだりしていたんだろうということなんですよね。
そうしたゆとりがある人たちは、きっと“本物”を嗜んでいたでしょう。
安田:だから、「誰でもいいから埋めたい」とは思いませんでした。
徐々に埋まっていくなかで、なかなか決められなかったのは、通りに面する顔となる場所です。
僕の願望としては、ここには「衣」の本物に入っていただきたかった。
食を僕が、住を畔上さんが担っているので、残りは「衣」だったんです。
――今、この場所には「つると」さんが入っています。まさに、「衣」ですね。
安田:そうなんです。つるとさんと出会うまでは、最悪決まらないままオープンを迎えてもやむなし、と思っていました。
父も同じ気持ちだったらしく、「おまえがテナント料を払ってでも、納得いく店を探せ」と言われましたね。
畔上:割り勘で支払いながらでも…と話していたところ、安田さんがつるとの大方さんに出会ったんです。
安田:イベントに参加してもらう予定だった作家さんのひとりが彼女でした。
作家メンバーに説明会を開く予定が、なぜか大方さんだけ連絡しそびれていたんです。
それが縁で、個別にお話をする機会が得られました。そこで聞けた話が「つると」の構想だったんです。
――つるとさんへの取材でもお話をうかがいました。告白するような勢いで口説かれたのだとか(笑)
安田:おっしゃるとおりです(笑)「彼女しかいない!」と確信めいたものがありましたから。
「入ってもらうためには何でもします!」という気持ちでしたね。
畔上:「僕と付き合ってもらえるなら、どんなところでも変えるから!」みたいな、ね(笑)
でも、そのくらいメインスペースを任せるにふさわしい存在だったんだよね。
安田:テナント料を下げたら入ってくれますか?とかね(笑)でも、これはパリの有名アパルトマンでも採用されている手法なんです。
1階に花屋やカフェがあるところが多いんですが、看板になり得る店にはテナント料を下げてでも入ってもらえるようにするというもので。
つるとさんからお返事をいただいたのは、グランドオープン後の4月後半です。
周囲には「安田くんが入ればいいじゃないか」と言われていたので…よかったです。安堵しましたね。
――安田さんのお店、minette(ミネット)は奥まった位置にありますもんね。
安田:そうなんです。ふつうは言い出しっぺが前面に出ていくんじゃないのかと聞かれるんですが、「衣」にこだわりたかったんですよね。
本格始動させた2年間は休みなしで活動していました。
「はかり屋にかまけていて店の味が落ちたね」なんて言われたら元も子もありませんから、本業も手が抜けません。
正直、あまり記憶がないんですよね…。
畔上:0時から電話で打ち合わせをするなんてことが日常茶飯事でした。
そして、大体どちらかが寝落ちするという(笑)「おーい、あれ、寝たか?」みたいな。
――まるでカップルのやり取りじゃないですか(笑)
畔上:それぐらい、ふたりとも必死でした。
本物は“本物を選びたい人”に、きっと届く
――「はかり屋」は、2018年4月1日に無事オープンしました。反響など、何かうれしかったことや印象深かったことはありますか?
畔上:都内も都内、中心地に住んでいる知り合いがいるんですが、はかり屋の話を聞いて実際に行ってくれたんですね。
その後、なんとたびたび訪れているんだという話を聞いたんですよ。
minetteのキッシュが気に入ったらしく、来るたびに毎回7個まとめ買いしているそうなんです。非常にうれしかったですね。
「これは都内でも出せる味だよ、本当においしいんだよ」と言ってくれているんですが、ちゃんと価値観を見出してくれる人がいるんだと。
それも、数々の本物を知っているであろう人に。
――都内にお店はたくさんありますし、お金を持っていれば本物に触れる機会は多いですよね。
畔上:そうなんです。「東京から越谷に人を呼び込む」のは、わたしの夢のひとつでもあるので、見出してもらえるのは本当にうれしいですね。
便利さと真逆な位置にあるものを、実は求めている人っているんじゃないか。そう思っています。
フィットする場所やものに出会うためになら、遠くからでも行こうと思ってもらえるんじゃないかと。
安田:「越谷に住んでいる人たちに本物志向はなじまない」と言われました。
でも、僕の店が3年がむしゃらにやっていくなかで認知されたように、「本物」を選んだり惹かれたりすることは肌感覚で覚えていくものだと思うんです。
「1万円だから高い、100円だから安い」わけじゃなく、本物であれば「1万円でも安い」ですし、本物でなければ「100円でも高い」んですよ。
――「はかり屋」を立ち上げて、感じることはありますか。
畔上:異分野のかけ算は大きい、ということですね。昔は、いい建物を作れば町おこしになると思っていました。
でも、そうじゃない。むしろ、衣食住の「住」は最後なんですよ。着るものや食べものがあって、はじめて「住」にこだわれる。
安田さんや大方さんと出会って活動するなかで、実感したことです。
安田:僕も20代の頃、「おいしいものさえ作っていれば自然とお客さんが来てくれる」と思っていましたが、違うんだなと思うようになりました。
本物を選ぶ方向性を作ることが必要なんだなと。
本物に出会える場所が増えていくことで、越谷はこれからも変わっていくんじゃないでしょうか。
過去を受け取り、今、そして未来へ。バトンを渡せる人に出会いたい
――4月に1周年を迎える「はかり屋」。今後のビジョンや目標を教えていただけますか。
畔上:はかり屋のケースは奇跡のようですが、これを奇跡にしないことが重要だと考えています。それがわたしたちの使命でもありますね。
まだまだ古民家はたくさんあるので、はかり屋のスタイルを成功させることで、失われる古民家をなくしたい。
「こういうやり方があるんだ」と思ってもらえるようにがんばっていきたいです。
安田:はかり屋に入ってくれる人たちが、もっともっと収益を上げられるようにしていくのが今の課題ですね。
買い手に「はかり屋クオリティ」と言われるくらい認知度を上げて、作り手に「商売をやるならはかり屋で!」と選ばれる存在になれたら、と。
古民家でビジネスをやるっていうことは、ある種ファッション化するものだと思うんですが、はかり屋は本質を大切にする場所であり続けたいです。「はかり屋」がひとつのメディアになればいいな。
畔上:はかり屋で商売をした人が卒業して、古民家で独立するっていうケースも出てきたらいいですし、そのときに力になれるような活動をしていきたいですね。
安田:越谷って、能力を秘めている人が多い感覚があるんです。奥ゆかしいというか。
やりたいことを口に出していったら具現化した僕たちのように、みんなもっと声に出してほしい。
もっとおもしろいことをやっていくために、僕たちもどんどん発信し続けていきたいですね。
そのなかでいつか、はかり屋の運営を引き継げる人が出てきたら、喜んで託したい。
年を取った僕たちがはかり屋を訪れて、「おー、今はこんなことをやってるんだねえ」って鬱陶しい先輩風を吹かせながら語り合う(笑)
そんな未来がきたらいいなと思います。
▽今回お話しを伺った場所
〈インタビュアー・文:卯岡若菜 / 企画・編集:青野祐治 / 撮影:藤田昂平〉
▽おまけ「はかり屋の歴史」
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