米づくりにイベントまで? 人を結ぶ “omusubi不動産”がつくる「自給自足できる街」のきっかけ
「この街が好き」だというとき、それはその街の何が好きだということなのだろう。
「もっといい街にしよう」「この街を盛り上げるために」。よく見聞きするこれらの「街」とは、何を指しているのだろう。
「街を変えるぞ!と思ったことはない」と語りながら、結果的に街づくりに携わっている「omusubi不動産」の殿塚建吾さん。一風変わった名前の不動産屋は、活動内容もユニークだ。
今回は越谷を飛び出して、千葉県松戸市にあるomusubi不動産で話をうかがった。
omusubi不動産は「おこめをつくる不動産屋」
――「omusubi不動産」ってインパクトのある名前ですね。
殿塚建吾さん(以下、殿塚):ありがたいことによく言っていただきます。電話口で名乗った際、「えっ、おむすび?」と何度も聞き返されたこともありますね。
「あの、むすぶおむすび?」とか(笑)その後、電話口が無言になったなあと思ったら、受話器から離れて爆笑されていました(笑)
――おむすびと不動産の組み合わせは意外すぎるので、その方のリアクションもわかります(笑)入居者の方と田んぼでおこめを作っているそうですね。
殿塚:入居者の方だけではなく、希望者の方とも一緒に行っています。仕事ではなく、ライフワークなんです。
イベントとして田植えや稲刈りを行い、希望者が参加するスタイルで行っています。入居が決まった方には、収穫したおこめを3合差し上げているんですよ。なくなり次第終了なので、時期によるのですが。
――なぜ、田んぼと不動産とを掛け合わそうと思われたのでしょうか。
殿塚:田んぼを始めたのは、omusubi不動産を始める前なんです。もともと僕がやってみたくて、方々で言っていたら「殿塚君、田んぼが出たよ!」と知らせをいただきまして。
――空き物件が出た、みたいな言い方ですね(笑)
殿塚:そうなんです(笑)詳しい話を聞いてみると、その田んぼがある場所は僕の祖父母の家の近くで、雰囲気がわかるところでした。
さらに、前に田んぼをやっていた方が有機栽培を行っていたため、土壌の心配もない。いいね、ということで田んぼを始め、今に至ります。
参加者は流動的で、いつも参加する人もいれば初めての方もいます。不思議なことに、トータル人数は大体いつも同じくらいですね。
――その後、omusubi不動産を開業されたんですね。お客さんから由来を質問されることも多いのではないですか?
殿塚:そうですね。そのため、omusubi不動産のことが分かるパンフレットをお渡ししています。
――「おこめを作る不動産屋」と表紙に書かれていますね。
殿塚:パンフレットを見ながら田んぼについて話した時に印象的なこともあって、伊豆から来店した画家の女の子にパンフレットを渡したら、目を輝かせて「田んぼ!?おこめを作ってるんですか!?」と立ち上がって、「素晴らしい田んぼ行きます」。
そして、「私、ここでお部屋借ります!」と即決してくれました。まだお部屋は見に行く前だったんですけど(笑)
――えっ、そんなことが。
殿塚:彼女曰く、こめ作りなど、自分の食べるものを自分で作ることに興味を抱いていたのだそうです。そのため、「ここで紹介してもらった部屋のうち、どこかに決める」と決めてくれたみたいで、すごく嬉しかったです。
――フィーリングや価値観が合致して部屋を決めるって珍しいことだと思います。
殿塚:omusubi不動産は、ただ部屋をお貸しして終わりっていうわけではなくできるだけその後の関係性についても大事にしています。
「Ourselves」「Originality」「Old」「Organic」の4つの「O」を大切にしていまして、パンフレットにも記載しています。
Ourselves:身の回りのことはできるだけ、自分自身で。
Originality:十人十色。それぞれの個性やオリジナリティを尊重すること
Old:古くても懐かしいもの
Organic:有機的なもの。食べもの、身につけるものの素材や人のつながりも
わりと特色の強い不動産屋なので、徐々に価値観に共感してくださるお客様が増えたようにも感じますね。
不動産屋にはなりたくなかった
――田んぼを始めて、omusubi不動産を開業された殿塚さんですが、開業前はどういったお仕事をされていたのでしょうか。
殿塚:うちは祖父の代から今も都内で不動産業を営んでいまして。でも子どもの時とかに抱く印象で、なんとなく不動産屋産ってちょっとずるいことして、お金だけ稼ぐイメージあるじゃないですか笑
一方、母方の実家は農家。祖父母の家に行くと、みんなで食卓を囲んでワイワイ飲み食いする…といった過ごし方をするんですね。
それで段々大人になるにつれ、農家の祖父母のようなライフスタイルの不動産屋になれないかなと思うようになっていきました。
――殿塚さんは当時も松戸に住まれていた?
殿塚:そうです。なので、父は松戸から都内に出勤していましたね。
――松戸で生まれ育って、いわゆる都会的な豊かさよりも昔ながらの暮らし方に魅力を感じていた。松戸で仕事をしたい、暮らし続けたいといった愛着は強かったのでしょうか。
殿塚:いえ、それは全然。隣駅は北千住と柏という人気の駅なので、昔は、「なんで一駅ズレたところに住まなかったんだろうなあ」と思っていました。
そのうえ、少し行くと東京ですから、立地が中途半端な街だなと。何にもないところだと思っていましたが、今omusubi不動産がある通りだけは元々好きで。桜並木なんです、ここ。
――今は新緑の季節で、非常に気持ちがいい通りだなと感じました。松戸にこだわりはなく、不動産を継ぐ気もなかった殿塚さんが、omusubi不動産の開業に至ったのはどういった経緯があったのでしょうか。
殿塚:大学では経済学を学んでいました。でも経済を極めて仕事にしたかったわけではなくて。新卒当時は環境問題や持続可能な社会づくりに携わる仕事に就きたかったんです。
今でこそ関連企業やNPOなどが増えましたが、当時は就職先がありませんでした。独立して仕事をするにも知識が必要です。
そのため、「まずは好きなことしても死なないようにお金を貯めよう」で、それでなんとなく不動産のことも学んでおこうと思って、マンションをリノベして販売する不動産会社に入りました。
――リノベーションというところに、今のomusubi不動産への繋がりが見えますね。
殿塚:その時からやっぱり新築なんか好きになれなくて。で働いてみたら不動産の仕事が結構楽しくて。
でも3年経った時に、俺は元々何がやりたかったんだっけって思って企業のCSR活動の企画運営をする会社に転職しました。その会社では田んぼに関わることもあったんです。
――ここで田んぼが出てきました。
殿塚:楽しかったですね。でも、あるとき、そのCSR事業部がなくなってしまうことに決まりまして。「明日から廃棄物関係の仕事をしてもらう」と言われて、「じゃあ辞めます」と(笑)
――次が決まっていたわけではなく?
殿塚:ええ、いきなり辞めました。その後、田舎に行きたいなと思って、房総半島に行きました。「ブラウンズフィールド」という古民家カフェに居候させてもらいまして。
――居候…もともとお知り合いだったのですか?
殿塚:知り合いの知り合いがそこにいたことがあって。無給で働く代わりに食事と宿泊場所を提供してもらうボランティアシステムを「WWOOF(ウーフ)」というのですが、そのスタイルで住まわせてもらったんです。
問い合わせたら快諾いただけて、「いつからいらっしゃいますか?」と聞かれて「今すぐ行けます!」と答えて。さすがに驚かれました(笑)
――だってすでに仕事を辞めていますもんね(笑)
殿塚:ニートでしたからね(笑)居候中は、さまざまなことをしましたよ。ヤギの世話や野菜の栽培、あとは犬のさんぽに行ったりとか。僕、犬ニガテなのに(笑)
房総半島での居候生活から、震災を機に再び松戸へ
――房総半島での暮らしは充実していたのですね。松戸に戻られたのはなぜなのでしょう。
殿塚:これがまったくの偶然なんですが、2011年3月11日の東日本大震災がきっかけなんです。
たまたま松戸にいたこの日、地震が起こった。移動手段がなくなり、房総半島に戻れない状況になったんです。
家族の近くにいることを選んだほうがいいんじゃないかという思いと、物理的に房総半島に戻れないという事情が重なりました。戻れないからといって、ずっと働かないでいるわけにはいかない。そのときに出合ったのが、立ち上げられて間もなかった「MAD Cityプロジェクト」でした。
――松戸駅前で行われている、民間によるまちづくりプロジェクトですね。
殿塚:松戸にある古民家をアーティストに貸すなど、不動産に関する活動を手掛けたいと思っていたのだそうです。だけど、そのときのメンバーには不動産屋がいなかった。「やらないか」と声を掛けてもらい、不動産事業の立ち上げに携わりました。
――MAD Cityからomusubi不動産開業に至ったんですね。
殿塚:もともと、30歳頃には独立したいと思っていまして。MAD Cityで活動しながら、いい田んぼとのご縁も得ました。それらを合わせて生まれたのが、omusubi不動産なんです。
空き家情報はインターネットでは探せない
――この通りを選ばれたのは、松戸でここが好きだったのが理由でしょうか。
殿塚:そうです。インターネットで調べていても、全然物件情報が出てこなくて。そのため、「よし、この通りを歩いているときに見つけた空き物件に決めよう!」と思って歩き出したら、空き店舗ばかりでした(笑)
――インターネットには出てこないものなんですね。
殿塚:物件にもよりますが、このテナントは地元の不動産屋さんにビラが貼ってある程度でした。
――並びに空き店舗が多かったなか、この場所を選ばれたのはなぜですか?
殿塚:案内して頂いた不動産屋さんが、ここの鍵しか持ってこなかったからです(笑)
――えっ、そんな理由あります?(笑)
殿塚:「あー、今ここの鍵しか持ってないよー」って(笑)ただ、ほかの物件はスケルトンだったのに対し、ここは構造が残っていました。そういう点では、開業までが楽だったといえるかもしれません。
――ご自身で手を入れられたんですか?
殿塚:手を入れたというほどのことではないですけどね。塗装などは自分でしました。妹にも手伝ってもらって、ふたりで始めたんです。その後、ものづくりで妹も開業したんですが、今も経理に来てくれています。
――独立したい志向のご家族なんですね。
殿塚:そうそう、母も事業をやっているんですよ。なぜなんでしょうね。どこかに勤めるのが嫌いな一家なんですかね(笑)
古い社宅が、地域のランドマークに
――開業後、仕事は順調だったのでしょうか。
殿塚:貸し出すための物件を探すのが大変でした。地図で確認しながら、一軒一軒見て回って、オーナーさんに連絡を取って。
「空き家を活用したいんです」と説明をして承諾を得ていました。今は活動内容を知っている方から情報をいただくことが増えましたね。
――空き家のオーナーさんの年代によっては、リノベーションやシェアアトリエといった言葉自体になじみがなかったのではないでしょうか。
殿塚:そうですね。でも、事例も見せながら説明すると、快諾してくださる方もいました。オーナーさんにとっては、自腹でリフォームをしなくていいのがメリットなんです。
――なるほど。
殿塚:お金と手間をかけて手を入れたところで、誰かが借りてくれるとは限りません。
オーナーがお金に困っていなければいないほど、「売りはしないけれど、貸すための努力もしない」状態になりがちなんです。結果、廃墟のような空き家が生まれてしまう。
僕らの仕事は、そうした空き家をそのまま任せてもらい、手を入れて安く貸し出すこと。オーナーさんにリフォームを強いていないため、安い賃料で貸し出せるんです。
――オーナーさんへの説明で大変だったことはありますか?
殿塚:オーナーさんたちは、違法なことに使われやしないか、大人数で暮らすタコ部屋みたいなことにならないかといったことを危惧されていることが多いので、「そうしたことはしない」ことと、僕らの方向性をきちんと説明すれば、ご理解頂けることも多いです。
――これまで手掛けた物件で、殿塚さんの印象に残っているものを教えてください。
殿塚:どれも印象深いんですが…そうですね、「せんぱく工舎」かな。400㎡と超巨大な元社宅なんです。DIYが可能な若手クリエイター中心の拠点として運営しています。
印象深いのは、物件がただ大きいからというわけではないんです。せんぱく工舎があるのは、omusubi不動産がある八柱エリアなんですが、八柱にはランドマークとなる物件がなかったんですね。
せんぱく工舎ができたことで、エリアのコアができたと感じているんです。
――ランドマークのような。
殿塚:そうです。
――住宅のほか、アトリエなどアーティスト向きの物件を手掛けている理由は何ですか?
殿塚:MAD Cityでそうした活動に従じていたのもあります。また、松戸は芸大があるので、芸大生が多いという理由もありますね。
シェアアトリエでは、1年間・25歳以下限定で家賃1万円というプランを始めました。現在は芸大進学を目指す若い方に活用頂いてます。
「この街に住む人のため」の活動を続けたい
――殿塚さん、そしてomusubi不動産が目指したい今後についてお聞かせください。
殿塚:人が繋がるきっかけづくりを行っていきたいですね。田んぼもそうですが、様々なイベントを企画しています。入居者かどうかは関係なく、いろいろな人が出会う場なんです。
それがとても楽しくて。人が自然とつながるっていいなと感じています。omusubi不動産の隣にあるカフェも、入居者や地域の人が足を運べる場所として仲間と話しながらつくったものなんです。
――人が集まる場所が一ヶ所できると、そこから広がりも生まれますね。イベントは、どういったものを企画開催されているのですか。
殿塚:たとえば、イベントスペースとして運営をしている古民家で「omusuBEER」というのを開催しました。ただ単にomusubi不動産が主催するちょっと大きめの宅飲みみたいな企画なんですけど。
おもしろかったのは、イベントの告知を見た元入居者の方が、「これ、OBも参加可能ですか?」と連絡してきてくれたことです。不動産で使わないでしょ、OBって(笑)でもそれはすごく嬉しかったですね。
――使わないですね(笑)それだけ場への愛着があるんですね。
殿塚:そもそも、不動産屋とお客様とがやり取りするのって、借りる・退去するとき以外はクレームや困りごとが起こったときくらいじゃないですか。
omusubi不動産には、関わりたい人は継続して関われる機会がある。その出入り自由なゆるい繋がりも特徴かなと思います。
これからは、街全体にイベントを広げようと思いまして、6月29日、30日にせんぱく工舎の入居者さんが一同になって色々な催しをする「おもかじ祭」と同時に街なかを巡るイベント「やはしら日々祭」を目下企画中です。
――松戸に愛着がないとおっしゃっていましたが、今は松戸に深く関わっています。想いに変化はありますか?
殿塚:「この街のために」という気持ちは今もないんです。実は「街が好き」って感情はあまりなくて、「その街にいる人が好き」といった方が正確なのではないでしょうか。
少なくとも、僕は街も物件も、そこに人がいてはじめて愛着が湧くものだと感じています。「こういう街にしたいから」ではなくて、「こういう人たちがいるこの場所で僕ができることは何か」と考えていますね。
――人ありき、なんですね。
殿塚:はい。最近は、「こういう仕事があるんだけど、やれる人いない?」という声を方々からかけられることも増えました。
あくまでも僕は不動産屋なので、必ず繋ぐわけではありませんが、相手の合意が得られれば紹介することもあります。
――何でも屋感がありますね。
「あいつに言えばツテがあるんじゃないか」と思われているかもしれないです(笑)ユニークな人との出会いがあるので、おもしろいですよ。
殿塚さんをゲストに迎えるトークイベントは5月25日(土)開催
「街を変えたいとは思ったことがない」と語ってくれた殿塚さん。そんな殿塚さんをゲストスピーカーに招くイベント「KOSHIGAYA MIRAI TALK」が、5月25日(土)に越谷市の「はかり屋」で開催されます。
テーマは「松戸市の活性化に貢献 “omusubi不動産”に聞く、空き家を活かした地域コミュニティのつくりかた」。はかり屋の立ち上げ人のひとりであり、「一般社団法人 越谷テロワール」代表理事の畔上順平さんとのダブルゲストです。
街も物件も、人から始まる。どのような話が繰り出されるのか、楽しみです。
▽今回お話しを伺った場所
Sponsored Links
お問い合わせ CONTACT
KOSHIGAYAZINEへのご相談は、
お気軽にお問い合わせください。
担当者よりご連絡いたします。