器と食を掛け合わせ、日常の“一歩先”へ。作り手の熱に触れられる学び舎「kousha」
器と食。双方の魅力を引き立たせる、一心同体の関係だ。
そんな器と食を合わせて楽しめる場所が、北越谷にある。「kousha」は、陶芸家・飯高幸作さんが営むギャラリーと、宮崎えりかさんが営むカフェの2店舗から成るお店だ。味わいのある家具に囲まれた空間は、やさしくて居心地がいい。
カフェで使われる器は、飯高さんが作ったもの。ざらりとした手触りの器に、家庭的ながら一段深い味わいを感じられる料理が盛り付けられる。
「日常のひとつ先の風景を」をコンセプトにした、ものづくりに向き合い続けるおふたりにお話をうかがった。
「学び舎のような場所に」器と食を掛け合わせたkousha誕生の理由
――カフェと陶芸のギャラリーというふたつの顔を持つkousha。どういった経緯でオープンしたのでしょうか。
飯高幸作さん(以下、飯高):いつか独立し、ギャラリーを持つことになったら、器に食べものを盛ったところを見られる飲食店を併設したいと思っていました。
コレクションとして飾っていただくのもうれしいんですが、やっぱり食べものを盛ることで活きるのが器なので。実際に使われているシーンを見ていただきたいなと思っていたんです。
独立したいと考えていた時期に訪れていた、川口市にあるカフェ「senkiya」さんとの出会いがkoushaオープンのきっかけで、オープンにあたり協力もしていただきました。
koushaもふたつのショップを合わせた存在です。
僕のことをオーナーだと思われる人もいるんですが、僕が切り盛りするのは、あくまでも陶芸ギャラリーのkousha。カフェとしてのkoushaの運営は、宮崎さんが5年前から担っています。
koushaの由来は、学校の「校舎」。
私たちがものつくりをしている過程をお客様にも実際に目にしていただき、そこから何かしらの刺激や学びが見つかる場所となることを考えて名づけました。
ふたつのお店が、ひとつの空間を作るよさ
――越谷で独立しようと考えて、この地にオープンしたのでしょうか。
飯高:そうです。陶芸の修行は茨城の笠間で行なっていたんですが、独立するなら出身地である越谷で、と考えていました。
地元愛というよりは、義務のような意識が強かったかな(笑)
ただ、産地とは違い、越谷では陶芸家と聞いてもピンとこない人が多いんですよね。そうしたこともあって、実際に食べ物が盛られた器を見て欲しいという思いから、飲食店を隣接させたかったというのもあります。
ただ、今でこそ個人店のカフェやショップが増えた越谷ですが、koushaをオープンしたときにはチェーン店くらいしかなくて。
器はもちろん、カフェで提供するメニューの値段への疑問というか、器のよさや食べることの大切さみたいなところがなかなか伝えられないもどかしさもありましたね。
――笠間を選ばれたのは理由があったのでしょうか。
飯高:土地柄が理由ですね。
僕はもともと車関係の仕事をしていた人間で、はじめから陶芸一本でやってきたわけではないんです。
ただ、陶芸に興味があったことから産地に足を向けるようになり、修行の道に飛び込みました。陶芸の産地は、よそ者は受け入れてくれないところが多いんですが、笠間は違ったんです。修行期間は8年ほど。楽しかったですよ。
――その後、飯高さんがkoushaをオープンしたのが2011年。宮崎さんは途中から加わった形になりますね。
宮崎:オープン当初のカフェを切り盛りしていた方が独立されて、わたしが入ることになったんです。
きっかけは、わたしもsenkiya。わたしは川口市出身で、たまたま友人が「川口に面白いお店があるよ」と教えてくれました。
何度かsenkiyaを訪れているうちにkoushaのカフェを引き継ぐ話が浮上し、お店を任されるようになったんです。
――前の方がやってきたお店の運営を引き継ぐのは、大変さもあるかと思います。お店のコンセプトへの共感など、何か理由があったのでしょうか。
宮崎:共感ありきというよりは、わたしが表現したいものを実現できる場所だろうと思えたのと、もっと現実的なことが理由でした。
お店の経営は難しいもの。生きるためのお金は稼いでいかなければいけませんし、従業員を雇うならなおさらです。おいしいものだけ、おしゃれな空間だけでは続けられないんですよね。
いつかは独立したいなと思ってはいたんですが、経営していくことへの希望と同時に不安を感じてもいました。そんな時にたまたまsenkiyaからkoushaの話をいただいたんです。
ただ、5年間やってきて思うようになったのは、ひとりでお店をするよりも、飯高さんという相手、そして一緒にお店を作っていくスタッフがいることで得られるものがあるんだなということ。
器に合う料理を考えたり、冗談を交えて話せたり。今は、ひとりで独立するよりもよかったと思っていますね。
――宮崎さんにとって、料理は「表現」なんですね。
宮崎:はじめから料理の世界にいたわけではなくて、写真の世界からスタートしているんです。
ものづくりが好きで。「表現って何だろう」っていつも考えていました。
芸術としての写真は今も好きで、カメラマンとして働いていた時期もありました。ただ、職業として自分にあっているのかという疑問を感じてはいたんです。
その頃、たまたま友人に振る舞った味噌汁があったんですが、それを食べた時に友人から『おいしい!』の一言をもらいまして。
この一言が、料理に興味を持ったきっかけです。
本心からにじみ出るような、お世辞ではない、いい反応だったんです。23、4歳の頃のこのできごとが、わたしの原点のひとつになっていますね。
陶芸家と料理人。異なる「表現」を掛け合わせることで生まれる妙
――個々に運営をされながら、作り上げられているkousha。おふたりのなかで、仕事に変化はあるのでしょうか。
宮崎:料理を作るとき、器にもこだわるのはふつうのことなんですが、飯高さんの器をどう生かすか、反対に料理に合う器をオーダーしたりすることもあります。
飯高さんは各地で個展を開いているんですが、私も一緒に出展することもあるので、その時に出すメニューに合わせた器を作ってもらったりしています。
そこでも料理を盛りつけた状態をお客様に見せられるようにしているんですが、その表現が自己満足になってしまわないように意識をしています。
そうじゃないと、「素敵だね」で終わっちゃうので。生活で使うシーンを思い浮かべてもらうことで、持ち帰りたいと思っていただきたい。
飯高:器でいうと、僕は生活で使ってもらうことを何よりも大切に考えているので、定められている寸法に従ったものを作っています。
電子レンジや食洗機にも対応しているものも多く、日常使いしてもらいたいなと思っているんですね。
もちろん、楽しみ方は人それぞれなので、コレクションとして飾っていただいたり、お客様用の食器としてお使いいただいたりしても嬉しいですし、毎日使っていただければ尚更です。
――宮崎さんは、メニューを考える際にどのような想いやこだわりをもっているのでしょうか。
宮崎:お客様には「やさしい味」がすると言って頂くことがあるのですが、狙っているわけではないんですけどね。
ただ、奇想天外ではないものを作ることを大切にしています。これは、実際に器を使うイメージを湧きやすくするためだけではないんです。
わたしが思っているのは、日常的なものが一番良い状態であること。それが最も素敵だと思うんです。
分かり易く料理で言い表すなら、何か煮込み料理を作るとき、家庭ではひとつの鍋に具材をすべて入れる方が一般的かなと思うんです。
そこを食材ごとに別々の鍋で調理して、最後に合わせる作り方を選ぶと、野菜の色や味が意図せず混ざり合うことを防げる。
大根は大根の、にんじんはにんじんの味わいを感じていただけるんです。
家庭では、調理する量やコンロの数のこともあり、こうした作り方はなかなか難しいかと思います。
ですが、こうして自分の店を持てているのだから、自分の表現したいことを大切にしたい。
家庭でも食べるような日常的な料理を、少し手間暇をかけてやって、よりおいしい仕上がりにする。日常のひとつ先にある風景を見せられたらいいなと思っています。
飯高:僕の器を使うことで、生活に彩りが増したらいいなと思いますよね。「日常のひとつ先の風景」を提供したいなあ(笑)
宮崎:……(笑)
飯高:いやあ、いい表現ですね(笑)
越谷を、ものづくりが身近にある街に
――お店を営業しているなかで、うれしかったり印象に残ったりしたエピソードはありますか?
飯高:お先にどうぞ(笑)
宮崎:すぐに人に振る(笑)
そうですね。やっぱり、前の人が続けてきたお店を引き継ぐことに不安ややりづらさはないとは言えなかったですね。
それまでのお店を愛してきてくれたお客様ほど、人が変わり、お店が変化をすることを寂しく感じる方も多くいて。
前任の方が辞められる前に一緒に働ける期間があったんですが、お客様からの「変わっちゃうのが寂しいです」という声を実際に聞くことも何度かありましたし。
そういう声はあって当然なのですが、後任の立場としては複雑でしたね。
そのようななかで、「来るのを楽しみにしていたんです」と言ってくれたご夫婦がいました。
以前から訪れてくれているご夫婦で。初めてわたしに期待を示してくれた言葉でした。
そのあともうれしい言葉をかけてもらう機会はあったんですが、この言葉はずっと中心に据えていますね。
飯高:いい話だなあ。
宮崎:……(笑)はい、次、飯高さんですよ。
飯高:えー?(笑)
僕はですね、人づてに聞けた話がうれしかったな。
当工房に親子で通うお子さんが、私を通じて陶芸の道に興味を持ちその後、笠間の陶芸学校に本格的に勉強に行くことにしたんだと聞きまして。
――わあ、その子にとっての原点になったわけですね…!
飯高:出会うきっかけになれたんだなと思いました。
陶芸の産地って、ものづくりに対する価値観が全然違うんですよ。当たり前のように手仕事に触れられる環境で育っているから、子どもたちも自然と感覚に染みこんでいる。
たとえば今の日本では、器って機械で作られた安価な器が多い。量産品の食器だからといってダメではないけれど、手仕事で作られた器には手仕事だからこそのよさがあります。
僕がkoushaのような「観せる工房」を作ったのは、過程を知ってもらいたかったから。
修行時代、手で作った器に対して、「何でこんなに高いの?」といわれてしまったのがきっかけです。産地のように身近ではないからこそ、見て触れて知ってもらえる場を作ろうと思いました。
ものづくりの世界を知ってもらうひとつの方法なんです。だから、なおさらうれしかったですね。
次は、越谷を手仕事につける街にしていけたらなと思っています。僕は幸いなことにこうして活動できていますが、なかには途中で食べていけなくなる人も多い世界なので。
多くの作り手さんや若手が、活動できる環境を作ることができたら嬉しいです。
一生、ひとりの作り手でありたい
――順調に営業を続けているkoushaですが、おふたりの今後の目標やビジョンをお聞かせいただけますか。
宮崎:今の環境は本当に恵まれていて、ありがたいなと思っています。
個人店の経営は、本当に厳しいのが現実で、1年以内に70%、3年以内には90%が続けられなくなってしまうともいわれているんです。
そのため、今の状態が当たり前のようにずっと続くと思ってはいけないなと思っています。
だけど、わたしは一生作り手でありたい。たとえ、作るものがこの先変わることがあったとしても、死ぬまで何かを作り続ける人でいたいですね。
飯高:僕もおじいちゃんになるまで作り手でいたいですね(笑)
宮崎:また乗っかる!(笑)
飯高:(笑)
何とかやってこられていますが、陶芸家としてはまだまだです。
今はまだお客様に喜んでもらえるものを作ることに重点を置いている状態ですが、これからの10年では、何らかの形で評価ももらえる陶芸家になりたいですね。
人に評価を形にしてもらいたい欲求はなく、どちらかと言えばただ自分が良いと思える物を作って、それを誰かに受け入れて貰える。シンプルにそんな毎日が嬉しいです。
幸い、個展のお誘いを全国からいただけるようになったので、全国で出会った人たちに「ぜひ越谷に来てください」と言える街にしていきたいな。
東京とセットで訪れるだけではなくて、県外から来て1日楽しめる街になれば。素敵なお店さんも増えてきていますし、僕もその力のひとつになれたらなと思います。
ものづくりが好きな方は、ぜひ足を運んでみていただきたいですね。
【kousha】
住所:埼玉県越谷市東大沢5-14-8
営業時間:水曜日〜日曜日 open11:30〜18:00closed
定休日:月曜日、火曜日
その他:駐車場あり
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